24 国際化学療法学会(米国)参加
1979年ボストンで国際化学療法学会があり、クレスチンの発表や東京研究所で治験中のK-MAPの発表があり、そこで呉羽がその学会期間中おにぎりパーティーと称して和食を提供することになった。誰か参加希望者はいないかと専務から提案があったので、ドクターが発表するのを助けるだけだったら台湾、韓国と同じパターンと思い、英会話は出来ないものの立候補したらOKが出た。おにぎりパーティーが開催されるには食材や人手が必要になり、同期のAも行くことになりニューヨーク事務所に駐在していたUや駐在員の奥様なども動員されることになった。(その後の国際学会や国内の学会でも同様な催しを続けた)英会話が必要かと至急習ったが役には立たなかった。その時はきちんと習いたいと思ったがその後はあまりの忙しさにその機会は来なかった。この学会は10月1日から5日までであったが、10月9日から11日まで日米科学協力事業のセミナーが開催され(セミナー名:合成多糖とその生化学的機能)呉羽のYが招待されていたが、代わりに君が出席したらどうかと打診された。発表は癌研化学療法センターのT先生だから傍聴すれば良いとのことだったので、これにも参加することになった。その結果2週間強のアメリカ出張となった。学会の中身は割愛しその珍道中ぶりを少し紹介しよう。
サンフランシスコに到着。アメリカの偉大さと異文化を改めて感じた。その頃はテレビがあるくらいでパソコンやスマホもなく現在のような情報を得られなかったので、ガイドブックか体験することが一番だった。まだデジカメもなく出始めていた自動焦点付のフイルムカメラで撮りまくった。次の日学会会場のボストンに入った。
ボストンに着いた日か翌日、小澤征爾がボストン交響団を指揮してベートーベンの第5を演奏する催しがありドクターたちが聞きたいと言うのでUに頼みチケットが入手できたので聞きに行った。前から3列目くらいの席で指揮する小澤の激しい息使いが聞き取れるほどでその迫力に圧倒されたが、しばらくすると時差ボケのためうつらうつらしてしまった。今思えば残念だった。滞在したホテルには知り合いのドクターたちも泊っていたので夕食をご一緒したがロブスターが大きく美味しいので郊外のシーフード店まで食べにも行ったのが懐かしい。ハーバード大学には多くのドクター達が留学していたそうで、一流の研究者になるには留学は必須だったのかも知れない。
ハーバード大学にて主な参加者たち
学会と連日のおにぎりパーティーも無事に終了し次の学会までニューヨークやワシントンを巡る観光ツアーに参加した。
先ずニューヨークに飛んだ。定番の観光コースで自由の女神、国連本部、エンパイアステートビル、ロックフェラーセンター等などである。2001年の同時多発テロ事件で破壊された貿易センタービルが懐かしい。
その後ワシントンD.Cに飛んだ。
世界の政治の頂点の都市であり落ち着いた町であった。ワシントン記念塔、ホワイトハウス、国会議事堂、スミソニアン博物館等などを見学。スミソニアン博物館はもっと時間があればと思ったが・・・。
次の学会に出席するためニューヨーク州シラキュースに飛んだ。10月9日から11日まで日米科学協力事業のセミナーが開催され(セミナー名:合成多糖とその生化学的機能)Yの代わりに出席した。発表は癌研化学療法センターのT先生だから傍聴すれば良いとのことだったが中身はちんぷんかんぷん!だった。多糖の研究はPSKの構造研究の投稿論文をまとめただけで実務の経験が無かったからである。同行した同期のAはこの学会とは無関係だったがシラキュースに同行した。学会が終わると二人でナイアガラ瀑布見学に出かけた。手配などはドクターTにお願いし快適なドライブと瀑布を堪能した後翌日再びサンフランシスコに戻り帰国した。空港のタックスフリー店で会社や家族へのお土産を購入し(まだお酒の関税が高かったのでお土産にウイスキーなど頼まれたが重かった)たが家族には不評であった。
これがアメリカ出張の最初で最後であり、3年間にわたる医薬品部での仕事のご褒美ともなった。しばらくしてCTへ異動となったからである。
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