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  26 K-247


K-247は抗悪性腫瘍剤として開発中もので、本社医薬品部兼任を解かれ東京研究所に戻ったときにはある程度プロジェクトは進行していた。簡臨床臨床治験に至った経緯を「 発見及び開発の経緯(概要)」の原稿から転記する。公表文献以外は手元に残ったのは概要の原稿だけである。

1968年にクレスチンの構造研究を京都工芸繊維大学・平瀬進教授の指導のもとに開始し、多糖類の構造決定を行った。その後クレスチンの最小有効単位の検討を目的としてクレスチンと同じN-グルコシド結合を有する糖-アミノ酸結合物を合成し、物性、抗腫瘍活性等から、芳香族アミノ酸-単糖化合物が興味ある特性を示したため、これに関し本格的な研究を開始した。1975年(昭和50年)よりグルコース、キシロース等各種単糖と種々の芳香族アミノ酸との反応物を得たがその中でも0-m-p-アミノ安息香酸の誘導体を得、その中から総合的に判断して、p-アミノ安息香酸-N-D-キシロシッドナトリウム塩(K-247)に到達した。

このようにクレスチンの構造研究から生まれたものである。クレスチン周辺の糖を中心とした化合物を合成し、抗腫瘍性の高かったキシリトール類縁化合物が選択されたものであり、これもYの大学時代の同級生、三重大学農学部のK助教授の研究室(呉羽から同僚のKが同室に派遣されていた)から得たものであった。

物理化学的性質、毒性試験、薬理・薬効試験、吸収・分布・代謝・排泄等の基礎試験を実施し安全性が高く、抗腫瘍活性の高い化合物であることが確認された化合物であった。

開発を急いだ理由の一つに農薬で成功を収めた錦研究所のIさんの本社転勤があった。ラブサイドで評価を上げたIさんでさえ、しばらく開発品が出なければ、異動させられるという事実である。それは研究は40歳前後までが限界であるという誰が言い出したかわからないがその当時の呉羽の考え方でもあったようでK本人もPSKだけでは本社に異動になるのではという危惧をいだき、なんとか次を出したいと思ったと言っていた。 (後日談だがラブサイドの開発者であるAさんもその後本社の生化学調査部長?などの名目で研究からはずされたが、Yが特別研究室に蟄居させられた時に、Aもやはり特別研究室に異動した。)

  

私はk-247の開発でもPSK時と同じように規格・理化学・安定性等の化学部門を担当していたが、医薬品部にいたときに多くのドクターとのお付き合いでが出来るようになっていたため、一部の臨床試験も担当することとなった。理化学は構造がはっきりしているので比較的簡単であったが、Na化されていたため乾燥度の低い場合の製品の安定性は結構不安定だった。乾燥を徹底的に上げたものを使い、3年間安定というデータに仕上げた。実際の治験薬では1年ぐらいで黒ずんだこともあったが水分量を減らせば何とかなるだろうと高をくくった。 
 
臨床試験には未経験者のIやFらも参加していたがデータを取れる人は相変わらず少なく、結局、「YとFと私」の3人組がメインで仕上げていった。後日呉羽の悪(わる)の3人組とN専務以下に徹底的にたたかれたのもこの3人が臨床のまとめを行い、一部の臨床試験データにあらぬ疑いがかけられたためでもある。 
 
その臨床試験は1980年にK-247研究会が、国立名古屋病院長・木村禧代二先生を代表世話人として発足し、木村先生を中心として開始された。
K-247研究会のメンバーは下記のとおりでその頃の癌研究者を大半網羅する研究会組織あったが、これは呉羽化学がクレスチンで有名になったおかげで参加して頂けたものである。 
 
K-247研究会参加施設と主務者

施設名

臨床研究会参加施設

主務者

北海道大医学部(癌研病理)

 

小林 博

札幌医大(第3内科)

鈴木 明

札幌医大(第4内科)

漆崎一朗

弘前大医学部(第2外科)

佐々木睦男

国立岩木病院(内科)

木村 要

東北大薬学部(衛生化学)

 

橋本嘉幸

東北大医学部(外科)

 

西平哲郎

東北大抗酸菌病研究所(臨床癌化学療法部門)

涌井 昭

磐城共立病院(内科)

平沢 堯

磐城共立病院(呼吸器科)

林 泉

東京大医学部(第1内科)

織田敏次

東京大薬学部(生体異物・免疫化学)

 

大沢利昭

東京大医科学研究所(外科)

藤井源七郎

癌研究会癌化学療法センター

 

桜井欽夫

癌研究会癌化学療法センター

小川一誠

癌研究会癌研究所付属病院(内科)

斉藤達雄

癌研究会癌研究所付属病院(内科)

西 一郎

癌研究会癌研究所付属病院(外科)

中島聡總

癌研究会癌研究所付属病院(放射線科)

梅垣洋一郎

国立病院医療センター(外科)

木村 正

都立駒込病院(外科)

伊藤一二

都立駒込病院(泌尿器科)

木下健二

都立駒込病院(化学療法)

坂井保信

慶応大医学部(耳鼻科)

犬山征夫

帝京大医学部(内科)

古江 尚

帝京大医学部(病理)

 

瀬戸輝一

日医大(泌尿器科)

中神義三

北里研究所付属病院(内科)

片桐鎮夫

北里研究所付属病院(外科)

河村栄二

関東逓信病院(外科)

斉藤 光

関東逓信病院(泌尿器科)

小川秀弥

河北総合病院(泌尿器科)

淡輪邦夫

北里研究所(バイオメディカルラボ)

 

鈴木達夫

女子栄養大

 

河合正計

千葉大医学部(第1外科)

奥井勝二

防衛医大(第2外科)

尾形利郎

東海大医学部(外科)

三富利夫

信州大医学部(産婦人科)

野口 浩

松本歯大(薬理)

 

前橋 浩

名古屋大医学部(第2外科)

近藤達平

名古屋大医学部(第1内科)

山田一正

愛知県がんセンター(内科)

太田和雄

愛知県がんセンター(外科)

中里博昭

国立名古屋病院(内科)

 

木村禧代二

国立名古屋病院(内科)

須賀昭二

国立名古屋病院(外科)

北村 司

国立名古屋病院(産婦人科)

鈴置洋三

愛知県厚生連安城更生病院(内科)

星野 章

中濃病院(外科)

桃井知良

京都大医学部(内科)

中村 徹

京都市立病院(呼吸器科)

立石昭三

北野病院(外科)

横尾直樹

大阪大微生物病研究所(外科)

田口鉄男

大阪府立成人病センター(内科)

正岡 徹

奈良県立医大(外科)

白鳥常雄

岡山大医学部(第1外科)

折田薫三

岡山大医学部(産婦人科)

関場 香

鳥取大医学部(第1外科)

古賀成昌

広島大原爆放射能医学研究所(外科)

服部孝雄

九州大医学部(第2外科)

井口 潔

九州大医学部(癌研化学)

 

遠藤英也

九州大医学部(癌研免疫)

 

野本亀久雄

福岡市立第1病院(外科)

隈 博政

佐賀医大(第1内科)

 

苅家利承

熊本大医学部(第2外科)

赤木正信

鹿児島大医学部(第1外科)

西 満正

 

これだけ多くの施設を東京研究所の少ない人数で担当したので私たちは全国を飛び回った。

臨床効果の判定基準はPSK時代とは異なり、「がん治療学会直接効果判定基準」に則った厳しいものであった。PSKの時とは全く基準が異なったもので、腫瘍縮小効果できちんと判定されたものであり、今でも評価に耐えられるデータであろうし、全て公表論文になっている。
この頃は癌の臨床効果については小山・斉藤班の固形癌化学療法直接効果判定基準が公表されており、PSKの頃とはその基準が厳しくなっていた。その概要は下記の通りである。

奏功度の表現

判定方法

著効

Complete Response

CR

測定可能病変、評価可能病変および腫瘍による二次的病変がすべて消失し、新病変の出現が綯い状態が4週間以上持続したもの

有効

Partial Response

PR

二方向測定可能病変の縮小率が50%以上、あるいは一方向測定可能病変では30%以上の縮小率を示すとともに、評価可能病変および腫瘍による二次的病変が増悪せず、かつ新病変の出現しない状態が少なくとも4週間以上持続した場合

不変

No Change

NC

二方向測定可能病変の縮小率が50%未満、一方向測定可能病変において縮小率が30%未満であるか、またはそれぞれの25%以内の増大にとどまり、腫瘍による二次的病変が増悪せず、かつ新しい病変が出現しない状態が少なくとも4週間以上持続した場合

進行

Progressive Disease

PD

測定可能病変の積、または径の和が25%以上の増大、または他病変の増悪、新病変の出現がある場合

著効、有効のみを奏功として奏功率を算出する。対象が再治療例の場合は、先行治療終了後4週間以上の期間があり、かつ前治療の影響が全く認められないもの等々の条件がついている。

 

申請に必要なデータ(PSKの申請時とほぼ同じ項目であったので割愛)が集積されたので、申請の準備を開始した。申請作業は前回のPSKを参考にし、さらにその後承認された他の抗悪性腫瘍剤の最新の申請データを参考にしながら、申請書作成責任者として纏め上げた。
 
全てのデータがそろったので、 効能効果「消化器癌(胃癌、結腸・直腸癌)、前立腺癌、腎癌」として福島県勿来保健所に医薬品製造承認申請書を提出した(57年4月15日付け第498号収受)。申請書には社長の名前と社印の下に担当者として私の名前を入れてあった。
当初は販売名:ブルゼン錠であった。申請書は福島県薬務課経由で厚生省に持ち込んだ。まだPSKが全盛時で厚生省でもまた抗悪性腫瘍剤の申請ですかと驚きをもって見られた。

 申請が終了し社長らに詳しい説明に行った。社長がPSKにあった乳がんが効能にないのはなぜかといわれた。症例数が足りないのが原因だと説明した。Yはそれなら症例を追加して効能を取りましょうといったらしい。私は乳癌は後日「適応拡大」すれば良いので申請作業は続けた方が良いと提案した。Yは乳がんデータはすぐ集めるからということで申請を続けながら、乳癌の臨床データ収集を急いだ。例数と有効数の確保に全力を挙げ乳がんもデータがそろったところで効能効果の追加をし、更に販売名が特許に抵触したので変更した。 

 臨床データ、基礎実験資料などは大半公表されており、資料としては全く問題が無かったし、ヒアリングでも 対策として80数ページにわたる想定問答集を作成して対応したので特段の問題は指摘されなかった。

 

公表された文献は下記のとおりである(学会発表は除く)。公表文献なので実名。

K-247のマウスにおける慢性毒性試験

帝京大医学部:瀬戸輝一

相模原協同病院:榎本真

呉羽・東京研:藤井(孝)他

基礎と臨床16839971982

K-247のラットにおける慢性毒性試験

帝京大医学部:瀬戸輝一

相模原協同病院:榎本真

呉羽・東京研:生沢他

基礎と臨床16840091982

K-247のサルにおける慢性毒性試験

相模原協同病院:榎本真

呉羽・東京研:広瀬他

基礎と臨床16632471982

K-247のビーグル犬に対する急性毒性および慢性毒性試験について

女子栄養大:河合正計

相模原協同病院:榎本真

呉羽・東京研:広瀬他

基礎と臨床16631761982

K-247の生殖試験(第1報)~(第4報)

島根医大:田中修

帝京大医学部:瀬戸輝一

呉羽・東京研:松木他

基礎と臨床16840291982

K-247の微生物を用いた突然変異誘起試験

呉羽・東京研:安藤他

基礎と臨床16841001982

K-247の染色体に及ぼす影響

呉羽・東京研:安藤他

基礎と臨床16841051982

K-247の抗菌活性

呉羽・東京研:安藤他

基礎と臨床16841031982

K-247のマウス腸内菌叢に及ぼす影響

呉羽・東京研:桜井他

基礎と臨床16841071982

K-247cyclophophamideの合併治療効果

北大医学部・癌研:後藤田栄貴

癌と化学療法 8 Supplement381981

K-247の生体防御機構に与える影響

呉羽・東京研:松永他

九大医学部・癌研:野本亀久雄

基礎と臨床151362591981

制癌補助療法剤の免疫学的検索

千葉大医学部:藤本茂

癌と化学療法 19712371982

ヌードマウス可移植性ヒト消化器癌による制癌化学療法剤の検討

千葉大医学部:藤本茂

癌の臨床 281011261982

K-247in vitro抗腫瘍効果とその作用機作

防衛医大:鶴純明

九州がんセンター:真柴温一

基礎と臨床1626971982

K-247の制癌作用機序に関する研究

佐賀医大:苅家利承

基礎と臨床16151982

Effect of k-247 on metabolism function of normal lymphocytes and leukemic cells

東大・薬学部:豊島聡他

Jornal of pharmacobio-dynamics 5 430 1982 

 

K-247の血小板機能並びにPGI産生に及ぼす影響

東大医学部:苅家利承他

日本血液学会雑誌 4322641980

新規制癌剤K-247の特性

九大癌研:遠藤英也

基礎と臨床16632621982

K-247の一般薬理作用

松本歯科大 前橋浩

呉羽・東京研:広瀬他

基礎と臨床16841091982

K-247の臨床経験

札幌医大第3内科 浅川三男他

基礎と臨床16633021982

K-247の臨床経験(Ⅱ)

札幌医大第3内科 浅川三男他

基礎と臨床161477851982

K-247の使用経験

東北大学抗酸菌病研究所臨床癌化学療法部門 金丸龍之介他

癌と化学療法91221221982

p-aminobenzoic acid-N-xylosideを併用した制癌療法の臨床的検討

千葉大医学部第1外科 藤本茂他

癌と化学療法991574, 1982

腎・前立腺癌に対するp-aminobenzoic acidの糖誘導体に関する基礎的臨床的検討

日医大第1病院泌尿器科 中神義三他

国立がんセンター泌尿器科 松本恵一

基礎と臨床16636111982

腎・前立腺癌に対するK-247の臨床的検討

日医大第1病院泌尿器科 中神義三他

基礎と臨床16141982掲載予定

泌尿器系悪性腫瘍に対するK-247の臨床的検討

関東逓信病院泌尿器科 小川秀弥他

基礎と臨床16141982掲載予定

腎・前立腺癌に対するK-247p-アミノ安息香酸キシロシッドナトリウム塩)の臨床効果

河北総合病院泌尿器科 淡輪邦夫

基礎と臨床16141982掲載予定

p-アミノ安息香酸-N-キシロシッドナトリウム塩(K-247)の基礎と臨床

都立駒込病院外科 森武生他

基礎と臨床161365431981

K-247の臨床使用経験

 

都立駒込病院外科 森武生

基礎と臨床161478511982

K-247の膀胱癌に対する臨床試験

都立駒込病院泌尿器科 蓑和田滋他

基礎と臨床16636061982

p-アミノ安息香酸-N-キシロシッドナトリウム塩(K-247)の臨床的研究-特に単独投与効果について-

東海大医学部外科 生越喬二他

基礎と臨床161478561982

婦人科悪性腫瘍に対するp-aminobenzoic acid-N-xyloside Sodium SaltK-247)の試用経験

信州大医学部産婦人科 野口浩他

基礎と臨床16949851982

K-247単独投与による抗腫瘍効果

名古屋大医学部第2外科 亀井秀雄他

基礎と臨床161478351982

p-アミノ安息香酸-N-キシロシッドナトリウム塩の抗腫瘍効果-単独並びに放射線との併用効果について-

愛知県がんセンター第2内科 福島雅典他

癌と化学療法92230, 1982

p-aminobenzoic acid-N-D-xyloside Na塩(K-247)の臨床使用経験-主として消化器癌に対して-

愛知県がんセンター外科 山内昌司他

基礎と臨床16315811982

乳癌に対するK-247の使用経験

奈良県立医大 第1外科 中谷勝紀他

基礎と臨床161478431982

K-247の臨床使用経験

広島大原爆放射能医学研究所外科 折出光敏他

基礎と臨床161374061982

p-アミノ安息香酸-N-キシロシッドナトリウム塩(K-247)の抗癌性に関する基礎的及び臨床的研究

九州大医学部第2外科 玉田隆一郎他

基礎と臨床161269481982

p-アミノ安息香酸-N-キシロシッドNa塩(K-247)の使用経験

熊本大医学部第2外科 池田恒紀他

基礎と臨床161478461982

K-247の臨床経験

鹿児島大医学部第1外科 末永豊那他

基礎と臨床16634611982

K-247の臨床経験(Ⅱ)

鹿児島大医学部第1外科 末永豊那他

基礎と臨床161478311982

p-アミノ安息香酸-N-キシロシッドNa塩(K-247)のPhaseⅡ臨床治験

帝京大医学部内科 古江尚

基礎と臨床161477791982

 

 

 

臨床試験の公表はある程度義務づけられていたので、一部を除いて3人で担当した。私が担当したのは東北大、千葉大、関東逓信、駒込病院泌尿器科、愛知がんセンタ外科、九大、鹿児島大であった。


東北大の抗酸研のデータはPSKのときと同じように1例有効例が貰えたが、担当のK講師に何度か掛け合ってようやく確定したが、それをホテルに帰ってYにその旨報告すると、その臨床調査書を入手したのかと聞かれ、確定したばかりだと言ったら「今日ドクターが死んだらどうするんだ。すぐ行って調査書を貰って来い」とのことだった。もう夜中で飲んだ後に送って行ったので無理だといったが、データは確定できなかったらお前の責任だと怒られたことを思い出す。 本人はデータが取れないときにはタイミングがあるといって、じっくり攻めることが多かったが、文句を言える状況にはなかった。他人には非常に厳しいことがあったが、これは1人息子の性質かもしれないと思ったものだ。

 東北大の投稿文献(癌と化学療法)

 

私の担当した施設以外では臨床データの一部を公表を見送った施設の症例を貰ってデータとしたところもあったようで、これが申請取り下げの原因となった。 GCP(医薬品の臨床試験の実施の基準)が平成元年薬務局長通知により行政指導として定められたが、その後も改訂を続け世界のGCPとして臨床試験のやり方が厳しくなったが、この制度がもう少し早く出来ていればこのようなことは起こり得ず、k247も無事承認にこぎ着けたと思われるが、その時点ではこのような規制は無く企業の倫理任せであった。 
 
昭和57年暮れまでに国立衛生試験所で行われた規格試験の確認も無事に合格し、 順調に薬務課で審査が始まり、ヒアリングには研究所長以下各担当者が出向き、ほとんど問題なくヒアリングも終了した。 
 
ところがH大外科のH教示が既に投稿された別刷りを見て当科では乳がんは取り扱っていないのに乳がんが入っているのはなぜかと担当のドクターに聞いた。すぐ担当のFに連絡があり、どのようにしたら良いかと相談があった。乳癌のデータを至急で集めるようにし、依頼しやすいところにお願いして例数を集めたが、そのドクターは乳癌も取扱っているのでお願いして症例を頂いたと思っていたし「公表することも問題ない」とのことだったのでので、一部の乳癌のデータに他の施設のデータも加えてまとめて貰ったようでその対処法に苦労することになった。 暮れのことで対応はY、Fと私の3人でやることになり、担当ドクターと直接連絡するのは私の役目となった。Yは自分が直接彼とやりとりすると対応を考える時間がなくなるので、その時間を持つために私の自宅の電話番号をドクターに教えてしばらく考えさせてくれとのことだった。(Fは担当だったので外れることになっていたが)その年の大晦日、元旦、2日と研究所に3人が集まり鳩首会談を持ち解決案を考えた。

その結果N医大の関連施設から得られたデータを発表してもらったということで、収めようということになり、YはN医大のドクターには事情をなんとなく匂わせて関連施設から貰ったデータを他施設での治験データを発表して貰ったことにしたが、ドクターは(Yが困っているのなら助けようと思ったと後日話していた)H大からの問合せに「それは関連病院のK総合病院のデータです」と言ったらしい。K総合病院の院長が偶然H大のH教授と東大同門で、H教授から院長にその経緯をすぐ調査してくれと電話があり、データを提供したとされT先生は何のことやらわからず、聞かれるのがいやでしばらく病院を休んだという。結局K総合病院でも何のことかわからず、そのデータがどこから来たか解明されなかった。呉羽や担当したFにも問い合わせが頻繁にあったが、ドクターに聞いて欲しいと言うことで押し切った。
 
H教授は理由はどうであれ消化器専門の教室では乳癌を入れたデータは研究室のデータとしては発表できないので、この公表文献の取り下げをするようにと担当ドクターに命令し、公表文献の取り下げ願いを出させることになった。文献が取り消されると乳がん等の例数が不足し、効能効果が謳えなくなったが、事態はもっと急を告げた。 
 
 H教授は その経緯を呉羽本社のN専務に伝えた。これを受けてN専務はすぐに調査に取りかかり臨床データに一部問題があるとし、そのようなことが世間に広がるとクレスチンの売り上げに影響するのでK-247の申請を取り下げることが大事というような話で社内を説得し、社長以下この線で行こうと言うことになった。また開発者のY一派の責任をも取らせようとたくらんだらしい。  昭和58年当時のクレスチンの販売高は500億円を上回り、医薬品単品での売上げNo1を確保しており、それがK-247で傷が付き売り上げが減少し大問題になるという理由だった。結局本社の言うとおりとなり、申請取り下げが決まった。開発にかけた数十億円と長い期間がふいになった。(一般論として1つの医薬品の開発には発端から申請完了までに20数年数十億円かかると当時の医薬品開発書に書かれていた)
家内は暮れ・正月と徹夜出勤したので何事が起こったのかと心配したし、夜中にドクターから電話が何度もかかり、大変迷惑をかけた。 
 
N専務はその前後Yと激しく対立することになり、この問題をYの追い落としに利用することした。「K-247の臨床データには一部捏造があり、これを主導したYら3人は厚生省のブラックリストに載っている」というようなことを宣伝し「隠し砦の三悪人」(黒沢監督の映画の題名)にちなみ「呉羽の三悪人」と呼び徹底的に干していった。これらの根回し宣伝は相当広く行われたらしく、後年医薬品事業部に異動になり本社のいろんな人から、K-247は会社の名誉を危うくするところだったが、申請取り下げでそれを回避したとの話を内々の話として聞いた。クレスチンの販売をしていた三共に聞いたがそのような話は聞いたことが無いとのことだったのでYの追い落としにのためには平気で「嘘」をつくこともいとわなかったらしい。後日談に述べるが偽証を強要し、金までばらまいたという。これらの一連の騒動の結果、Yグループはクレスチンの成功での優遇から一転して苦難の道を行くことになった。 
 
昭和58年1月18日付けで、厚生省薬務局審査課長宛に「シュバリゾン原末並びにシュバリゾン錠申請取下げについて」という書面を提出した。内容は昭和57年4月15日に提出した製造承認申請に関し、「現時点では製造のスケールアップに関し品質にかかわる未解決の問題があることが判明し、場合によっては申請内容の変更に及ぶ危惧を含むため、更に検討が必要となり、審査途中で遺憾ではありますが現時点の判断として申請の取下げ止むなしとの結論に達し、申請取下げおよび申請書の返却をお願いしたい」というものだったが、この表現には後日工場からクレームが付いたという。何の関わりも無いのに「技術を否定された表現」だったからである。当時は「技術の呉羽」といわれるほど呉羽の技術力は業界では有名だった。Y専務が工場に土下座をしにいってことを納めたという。 
 
  審査課より後日、この内容では納得できないのでもっと詳細に説明するようにとの指示があり、規格値(定量値)の未達が大規模生産の過程で見つかり、特にナトリウム化の段階で不純物が発生し、純度が不足し、未だに解決できていない詳細に詳細に記して、再度審査課長宛に昭和58214日に提出した。審査会はうすうす臨床データの問題と気が付いていたのか、臨床治験での規格を達成できないような会社が存続してよいのかと(治験段階ではクリアしていたはずなのに)文句が出たという(当時の委員より情報入手)。

 

  K-247は制癌剤として開発されたが、抗炎症作用(カラゲニン浮腫抑制、鎮痛作用、解熱作用など)、血圧降下作用(特に自然発症高血圧ラットなど)、血糖降下作用、血中脂質降下作用などがあり、K-247の開発中止後は糖の部分をキシロースからマンノース(K-MAP)、アラビノース(K-AM)に変更したPABA誘導体を開発品目に挙げて一部は臨床試験に供されたが、いずれも効果が確認されず、すべてがお蔵入りとなった。

 

後日談
*N教授より1998年10月にN医大N教授から医薬品事業部に電話があり偶然私が出電話の電話の内容は「11/13~15日台医学研究会がある。呉羽の援助で作ったもので、膀維研を母体としているが援助してもらえないかとFに頼んだがN専務がこの話をつぶした。三共Mがバックアップしてくれるが再度クレスチン担当のFに援助出来ないか聞いてくれ」とのことだったが、その時に次のような話があった。
「昔、N専務からYを追放したいので重役会に出てK-247の件で証言しろといわれ、ずしりと重い札束を両方のポケットにねじ込まれたことがある。片方で100万はあったろう(銀座で飯食って、飲まされたときだ。ネクタイは2本受け取ったが金は返したとのこと)。当時はH大助教授のNが経緯を証言してくれと言ってきて、返事が貰えないと帰れないなどといっていた。俺は金で動くような人物ではなく、義理人情を大切にしているし、PSKの開発者を追い落とすなんて呉羽の重役たちは何を考えているのかとNを怒っておいたが当時Nは社長になりたくて、クーデターをたくらんだらしいよ。俺はクーデターを阻止したことになった。」との話だった。その頃はN専務は既に退職していたが酷い人だったんだと改めて思った。

*都立駒込病院外科のM先生(後の病院長)はK-247の効果を確認し、後日申請取下げに伴い治験薬提供が不可能になる旨担当したFが連絡に伺うと「医薬品開発会社は継続使用中の患者が亡くなるか使用を中止できるまで提供の義務があるのだ」と烈火のごとく怒り、Fが出入り禁止となった。またまたお前が説得に行けとYから言われ「在庫を全て提供すること」でようやく矛を収めてもらった。

*国立名古屋病院の院長・K先生も同様で治験終了後も処方にk-247と書かれ、病院薬局からkk-247を提供するか、ドクターを説得して処方を止めて貰うかしてくれと言われ、K先生の説得にも行った。

 

上記したとおり、その時代の規則に則り大半を公表し、癌治療学会の効果判定基準を満たし、効果判定委員会の了承のもとに提出した臨床データがH大の乳癌のデータに疑問が出て、その結果クレスチン大事ということで全てが崩壊してしまった。更に私もその巻き添えで責任をとらされることになり、その後呉羽ではどこに行ってもうさんくさい目でみられることになった。


 

  32 ゾロ品 クレスチン製造は基本特許(昭和43年10月3日 制癌剤の製造方法 特許登録番号968425 昭和51年公告)により昭和63年10月3日までの20年間は特許法によって守られていた。 特許が失効すると医薬品メーカーはある条件下で同一類似品(後発品)を承認申請出来る。...