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 32 ゾロ品

クレスチン製造は基本特許(昭和43年10月3日 制癌剤の製造方法 特許登録番号968425 昭和51年公告)により昭和63年10月3日までの20年間は特許法によって守られていた。

特許が失効すると医薬品メーカーはある条件下で同一類似品(後発品)を承認申請出来る。売れ筋の医薬品は色んなメーカーが類似品をゾロゾロと承認申請し、認可後には薬価がグンと下がって収載され先発品は売上げが減少し、薬価も下がり利益は減少する。業界ではそのような会社をゾロメーカー、商品をゾロ品と呼ぶ。政府は健康保険の費用逼迫からゾロ品を使うように推奨する。ゾロ品は臨床試験を省略し、一般的には血中濃度の同一性で承認するので開発費用が安価であるが、製品が同一と言うことでは無い。薬には有効成分以外に添加物が多く含まれそれについては評価しないし、安全性についても評価できていない。まして生薬のごときものは(PSKも生薬の類似品)安全性を数人の臨床試験で評価し副作用がそれほど無ければ承認すると言われていた。

クレスチンの場合もこのようなゾロ品として東菱薬品工業と大洋薬品工業がバイオ・チバが製造した原料を使い昭和60年12月に承認申請し、昭和62年8月に抗悪性腫瘍剤として承認された。承認された後PSK基本特許が失効するまでは製造できないが、三社はPSKの製造方法は既に既知であるとして薬価収載を申請し収載後発売を計画した。

呉羽はゾロ対策をするため承認については厚生省に問い合わせをすることとし、特許については医薬関係を得意とする弁護士と契約し対策を講じることになった。

厚生省には昭和62年9月に審査2課のI課長補佐を訪れ三共のT、本社医薬品部のAと私の3人で質問したが、生物学的同等性については答えられない、臨床試験の有無も答えられないとしたうえで、「データは先発品と同等のデータが揃っている。その他のデータもチェック済みである」「菌株についても名称以外は菌学的に同一であるし、違っていなければ問題ない」などで承認されたとのことであった。

その上でゾロ品は2社以外にも多数出ているが、PSKが再評価指定されたのでしばらくは承認されないだろうし、ゾロメーカーも再評価指定申請するのではないかとのことだった。

その頃はPSKの薬効が丸山ワクチンとの絡みで問題になっており、また健康保険の問題(薬価が高く使用量が多いと保険からの支払いが多くなり健康保険が圧迫されていた)から厚生省は大蔵省からゾロ品を早く承認し薬価を下げるようにと圧力がかかっていたらしい。

呉羽としては承認に関しては手の打ちようがない事が分かったので、薬価収載を遅らせてクレスチンの独占販売期間をなるべき伸ばそうと医薬品訴訟のベテランと言われたS弁護士にx万円で相談にのってもらうことにし訴訟も仕掛けた。読売新聞はそのことを入手し公表した。

           

             読売新聞 昭和63年9月10日

そこには「ゾロ品が発売されると年間500億円と抗癌剤としては世界一の販売額を誇るクレスチンの薬価(960円70銭)を直撃、市場価格の大幅ダウンとともに、実勢価格と連動する薬価の引き下げも招きかねないと判断、呉羽化学工業では訴訟に踏み切ったものとみられる」と記した。

S弁護士はPSKの化学構造や物性を徹底的に調べゾロ品との差別化を明確にしようとと考えたらしく細かい指示をしてきた。これに対応している間に刻々と刻々と経過していった。この訴訟の最大のポイントは薬価収載を延長させて次の薬価収載まで独占的販売を維持することだったが、このような訴訟の方法では短時間で勝訴することは難しそうであった。その上相手企業の弁護士とは良く対決するようでお互いなあなあの関係のようにも見えた。当社としても訴訟したことで敗訴しても努力したことが大事という感覚であった(某部長談)と思われた。裁判は長引き昭和63年10月3日の特許切れの日があっという間に来た。呉羽はすかさず本訴を取り下げゾロは薬価収載(昭和63年7月15日付け)と同時に発売になった。

下記はその様子の新聞記事である。           


化学工業日報昭和63年11月28日


             読売新聞昭和63年4月及び9月


朝日新聞は翌年にはゾロ品は好調に推移していると報じており品不足とも言われている。ゾロ品の販売でクレスチンは徐々に販路を失っていった。更にその直後に再評価が告示されもっと急激に売り上げは減少していった。再評価については別項で述べたので参照されたし。

このあたりの情報はPHARM TECH JAPAN vol4No9(1988)p88に詳しい 




三共が入手したカルボクリン末のインタビューフォーム





一般的な話としてゾロ品については以前からその品質については疑問があったが、クレスチンのゾロ品について調べたところ、規格試験法は同じと思われたのに、入手した製品を分析すると規格値と遙かに異なる値が出たので、厚生省にこのような医薬品は問題ではないかと訴えたが、「貴重な御意見ありがとうございました。該当メーカーに伝えて是正させます」とのことで一件落着してしまった。しばらく経過を見守ったが徐々に規格値に入るようになった。ただ、生物学的試験については当社でも苦労した経験上ゾロ会社も苦労したのではないかと推察した。ゾロ品の売上げについては詳細は不明としておこう。

現在も(令和時代初)ゾロメーカーの違反行為が目に余り厚生労働省から指導が入り、その結果後発薬が不足している状況をも作りだしている。昭和時代と変わりない医薬品業界が続いているらしい。結局行政は使用者(患者)の事は考えず、経済的に安く作ってくれさえすれば良いという考えなのであろう。




 

31 クレスチン再評価

クレスチン販売は再評価とゾロ品の出現により激減した。ゾロ品の場合はまだ市場の奪い合いなのでパイ自体は変化しなかったが、再評価ではパイ自体が急速に減少していったからである。

再評価の制度については総説がいくつもあるのでその中から簡単に概要を示しておく。

      高橋春男「医薬品の再評価の歴史」薬史学雑誌45(2)93~100(2010)


再評価制度は、当時米国で進められていた薬効再評価制度を参考として1971年7月7日、薬発第610号「薬効問題懇談会の答申について」に基づく同年12月からの行政指導による再評価の実施に始まり、1985年1月からの薬事法に基づく再評価、更に19囲年5 月からの新再評価制度へと経過してきている。

 1次再評価:昭和46年12月16日薬発第1179号「医薬品再評価の実施について(通知)」に基づき、昭和429月以前に承認された古い医薬品を対象に全品目例外なく実施されている。(基本通知以前に承認された医薬品)

2次再評価:昭和6017日薬発第4号「医療用医薬品再評価の実施について」に基づき、昭和4210月~昭和553月までに承認された医薬品を対象に成分毎に実施されるものであり、基礎資料を提出し承認後の医学薬学等の著しい進歩に応じて再度その有用性を見直す必要が生じたもののみを再評価するもので、クレスチンはこれに該当し再評価されたものである。

 3次再評価:昭和63530日薬発第456号」に基づき、過去に再評価、再審査が終了した医薬品を含む全ての医薬品を対象に5年に1回定期的に行うものと、緊急の問題が発生した場合に対応する「臨時の再評価」があり、定期的な再評価は昭和63年に始まったが、10年後には再評価に指定されることが少ないこともあって、その後実施されていないようだ。

臨時の再評価は
* 緊急の問題が発生した場合(脳下垂体ホルモン剤など)
* 薬効群全体として問題になった場合(抗菌剤の効能・効果の見直しなど)
* 新薬臨床評価ガイドラインなどが制定された場合(脳循環・代謝改善薬など)
の場合に実施された。

 再評価の審議は、その指定と同様に薬事・食品衛生審議会で行われ、判定が下される。 

その結果は、

薬事法第14条第2項の3つの承認拒否事由

ア)申請された効能・効果があると認められない時

イ)効能・効果に比して著しく有害な作用を有することにより、使用価値がないと認められる時

ウ)性状又は品質が保健衛生上著しく不適当な時 

等の評価結果が次の3つの段階で公示され、それぞれ必要な措置を講ずることとなる

1)承認拒否事由のいずれかに該当するため医薬品として適当でなく、承認が取消され回収措置を講じる。

2)効能・効果、用法・用量の一部を削除又は修正(一部を変更)すれば、適当と認められるので、一部変更承認の手続きを取り、その旨の情報提供を行う。

3 )承認拒否事由のいずれにも該当せず、問題はなく承認がそのまま継続される。
 

 
第2次再評価をもう少し詳しく述べると
1) 目的と対象
第1次再評価開始後の、1979年(昭和54年)の薬事法改正により再評価制度の法制化されたことと、再審査制度が導入され、承認後一定期間経過後、品質、安全性及び有効性につき見直すこととされことから、先の再評価及び再審査制度対象外の医療用医薬品に関し見直す必要がでてきたため、所謂、薬事法に基づく再評価が開始された。
2) 評価方法
薬効群毎に文献等のスクリーニングによる基礎調査を行い、品質、安全性及び有効性に問題がある成分・処方につき審議会にて検討され再評価対象に指定される。申請には次の項目に取りまとめ、指摘された問題点に根拠を持って抗弁できるかにつき審議され、妥当性が評価されれば承認事項は継続される。問題があればその部分が削除となる。

添付資料項目

・起源又は発見の経緯及び外国における使用状況等に関する資料

・物理的科学的性質並びに規格及び試験方法等に関する資料

・安定性に関する資料

・急性毒性、亜急性毒性、慢性毒性、催奇形性その他の毒性に関する資料

・薬理作用に関する資料

・吸収、分布、代謝及び排泄に関する資料

・臨床試験の試験成績に関する資料

3) 評価結果

対象医薬品全1,860品目について199637日に終了した。その結果、承認取消は 42、承認一部取消1, 579、申請前承認整理134で承認がそのまま継続したのは105品目となった。

また、この再評価により基本調査による文献スクリーニングが定着することとなったが、提出資料の信頼性確保上の問題点、根拠資料の準備態勢の問題点、追加臨床試験等の資料作成期間の問題点等がクローズアップされることとなった。


クレスチンはこの内第2次再評価で指定されたものである。


昭和62年10月1日薬発第854号厚生省薬務局長通知「医療用医薬品再評価に関し資料提出を必要とする有効成分等の範囲(その5)について」

 

手元にある新聞記事は「読売新聞、19884/16(土)」の抗がん剤、見直し着手・中央薬事審査会」の大見出しの記事である。一般的にはこのような再評価自体が記事になることは滅多になかったが、これはいわゆる厚生省(当時)または大蔵省(当時)によるリークであろう。

 


読売新聞の記事にはクレスチンの申請時の資料が紹介されている。

『腫瘍縮小効果の有効率は単独で21.5%、併用で35.6%と出ており、販売と同時に爆発的な売れ行きをみせ、クレスチンの年間売上げ額(昭和62年度)は約515億円(推計)にのぼり、抗がん剤の中では世界でトップ。ピシバニールも世界第2位の売上げを記録している。ところが読売新聞社が入手した資料の1つ、東北大学抗酸菌病研究所の「末期消化器癌患者に対する癌化学療法の効果と生存期間」のデータ(388月から5211月までの511例)によると、胃癌に対して単独投与された23の化学療法剤の最終的な有効成績は平均12%。今回、再評価されるクレスチン(判定可能例11例)、ピシバニール(同13例)の有効成績はそれぞれ0%とされ、腫瘍縮小の直接効果はなかったとしている。(中略)

再評価の作業は、厚生省の技官が提出資料を基にヒアリングを行い、問題点を整理したあと、中央薬事審議会医薬品再審査・再評価特別部会にあげ、本格的な審査に入るが、焦点は①両剤とも腫瘍の縮小効果が評価され、抗がん剤として認可されたが、今日でもそれが妥当かどうか②併用の化学療法剤は現在、条件がつかず無制限だが、一定の歯止めが必要かどうか③適応範囲はここ数年の間に認可した他の抗がん剤と比較して広く、このため制限、縮小すべきかどうか―の3点になるものと見られる。特にクレスチンは認可時の有効データがピシバニールに比べて低いだけに、適応範囲の縮小などが行われる可能性が多きい。』と記されている。

三共の医薬情報部長の鈴木嘉平の話として次のコメントが記されている。

『再評価についてのコメントは差し控えたいが、提出したデータには自信がある。抗がん剤であるかどうかについては新しいカテゴリー(概念)の抗がん剤として認められるのではないかと思っている』 

読売新聞社が入手した「末期消化器癌患者に対する癌化学療法の効果と生存期間」に関する文献は「抗酸菌病研究雑誌第30巻第1号、第2号」に公表された“末期消化器癌患者に対する癌化学療法の効果と生存期間-わが部門における15年間の成績-”であり、胃癌の11例では0だが、食道癌では11例中1例に有効例があったと記されており、この記事も公平さを欠く内容である。

 ただ読売新聞より前に朝日新聞が1987/9/5にクレスチンが再評価指定されたことが記事に出ていることは日本大学薬理学教授 田村豊幸の「薬効再評価制度の副作用」治療学Vol.19No5.-361987)に記載がある。それによれば

『発売後長期間たち、薬の効能などに疑問が出たり、新たな研究水準から見直しをする必要が出た場合に行うのがこの再評価制度だが、クレスチンのように、現在も広く利用されている薬が再評価品目に指定されるのは初めて。しかし、クレスチンについては、数年前から医師の間にも薬の効き目を疑問視する声が上がっていたため、今回の措置を“予想された結果”と受け止める関係者も多い』と記事にはあるらしい。

田村教授は『この記事は天下の朝日でも残念ながら誤りだと指摘し、初めて再評価指定されるのではないことは知られているが記者がこのような問題を取上げるのが初めてだったのでので誤解したのではないか』と記している。

なお、教授は『しかし、ここで問題にしたいのは、それほど怪しいものをなぜこれまで10年間も野放し販売させておいたかということだ。(中略)10年むかしは有効だと思ったから許可したが、12年後の学問的レベルからみて、無効という結果が出たとしても、企業は決して損しない仕かけになっているところは、まぎれもない再評価制度の副作用と言わざるを得ない。

もちろん、無効とわかっても発売当時とは厚生省も薬事審議会もすっかり顔ぶれが変わっているから、シリの持っていきようがない仕かけにもなっている。承認後すでに10年以上たっているというが、抗がん剤効果判定の物差しがそれほど変わったとは思えない。もし、それほど物差しが目まぐるしく変わるのでは、企業も薬の開発には安心して取組めない。

「当然、効能・用法などを見直す必要があったため」というが、それほど当然のことなら、どうして10年以上たったものでなければ再評価しないのか。ことに、「ここ数年、がんの専門医や医薬品関係者の間から、さまざまな疑問が投げかけられてきた」にもかかわらず、ジーッと息をこらし、ひたすら発売に加担してきた人たちの責任は、いったいどうなるのか。

筆者の予測では、2年後にも「やはり有効だったが、それほど強いものではなかった」という結果ではないかと予測する。

その頃になれば、さらに効くものが出現するのは明らかだから、「それほど強いものではなかった」と言われれば、次第に使われなくなる。これが、典型的ゴマカシ日本流の解決法だ。

しかし、これほど見事な再評価の副作用もないのである。とりあえず許可して、タップリもうけさせておきさえすれば、やがて本当の結果がどうなろうと、そんなことは知ったことではない。万一、まだ生き残ろうものなら、喜びのオツリで、企業は笑いが止まらない。ヒョッとすると、その企業の大幹部には、昔お世話したお偉いサンが持参金前払いの形でイスに座る可能性もあるというのが、副作用予知学の結論だ。彼らのやり方は、最後の最後まで見とどけねばならぬ。』と記し再評価後の事態を予想している。しかし抗悪性腫瘍剤の効果判定基準がクレスチン承認時と再評価時には大きく異なり効果判定が難しくなったいることには触れておらず、判定基準がコロコロ変るのであれば企業は安心して開発に取り組めないとも言っている。

さらに読売新聞は1988/4/30

『見直しの抗がん剤 甘かった効果基準 主治医の判断を重視』の見出しで続報を出した。それによると

『読売新聞社が入手した関係資料、関係者の証言などから、両剤が審査を受けた当時の効果判定基準は現行基準よりずっと緩く、主治医(臨床医)の判断が大きなウェートを占めていたことが29日までに明らかになった。腫瘍縮小の直接効果のほかに、患者の自覚症状や患者の体重の増減、体の動かし方などをチェックし採点する他覚所見などが判定基準に盛り込まれていたためで、この結果、両剤の有効率がかなり高くなっていることが判明した。

ピシバニールは、申請から認可まで210ヶ月も要したのに対し、クレスチンはわずか1年の“スピード審査”。中央薬事審抗悪性腫瘍剤調査会の実質的な審議は2回だけだった。

両剤の有効率はかなり高い数字を示しているが、読売新聞社が入手した当時の抗悪性腫瘍調査会が抗がん剤の評価基準として採用していた「癌化学療法の効果判定基準」や関係者の証言によると、当時の判定基準の判定項目は、腫瘍の縮小効果をみる「腫瘍の状態」のほかに①患者の自覚症状(食欲、主症状)②他覚所見(体重、身体各所の可動性)③検査成績(血沈、貧血など5項目)-を追加され「軽快」「不変」「悪化」の3段階で効果判定をする仕組みになっていた。』と記し、前に述べた効果判定基準が紹介されており、この判定が医師の裁量の範囲内で行われたことをうかがわせるとしている。

『また、クレスチンの開発、臨床試験に関与し、当時の抗悪性腫瘍剤調査会の委員を務めていた塚越茂・癌研化学療法センター副所長は「今から考えると、当時の基準は緩い内容で、全体として有効率が高くなってしまう傾向があった。クレスチン、ピシバニールともこの基準で審査、承認されたが、自覚症状、他覚所見などなんとなく漠然としていて判断に苦しむような項目については、その後、なくなり、現在は新しい基準が適用されている」と話している。こうした“甘い基準”のためか、本社が入手したクレスチンの有効率に関する内部資料によると、胃ガンの有効率は単独で107例中2119.6%となっており、単独投与の有効率が認可の最低条件といわれる20%スレスレとなっている。また、クレスチンなどは現在、他の化学療法剤(抗がん剤)と併用された場合、一般に単独より併用の方が有効率は高いとされているが、この資料では食道癌が単独26.1%、併用21.1%、乳癌が単独33.3%、併用30.8%と単独、併用の有効率が逆転しているなど、データに不可解な点もある』

続報として1988/6/27には

『抗がん剤「クレスチン」“疑問データ”の数々 メーカー、延命強調の一方で「効果なし」の内部資料』の見出しで報じている。

『厚生省の中央薬事審議会は抗がん剤の「クレスチン」「ピシバニール」の再評価を進めているが、製薬会社が提出したクレスチンの資料の中に、科学的裏付けが乏しいデータがかなりあることが26日明らかになった。また、両剤のメーカーなどが資本金を出し合って設立した財団法人「がん集学的治療研究財団」の末期胃がん患者を対象にした比較臨床試験データ(3年生存率)でも、延命効果について、否定的な結果が出ていることが判明した。』

『中央薬事審で再評価作業を行っているのは再評価第5調査会(7委員)。メーカー側が提出した臨床試験データ、製造承認申請時の単独、併用データなど膨大な資料を基に、効能効果、安全性、副作用などを審査しているが、クレスチンのデータはピシバニールに比較して、かなり科学性に乏しいものが多いことがわかった』

『メーカー側が提出した「進行胃がんに対するクレスチンの臨床効果(無作為化比較試験の成績)では、他の化学療法剤の単独群とクレスチン併用群の間では「奏効度(効果の度合い)に統計的に有意差(明らかな差)はみられなかった」としながらも「生存期間は単独群に比較して約60%の延長が認められた」としている。

つまり、腫瘍縮小効果はなかったが、延命効果はあったという。

ところが、メーカー側が35千万円の上る基金を出して55年に発足した財団法人「がん集学的治療研究財団」(本部・東京)の「胃がん手術の補助免疫化学療法第2報、3年生存率について」(全国256施設、患者数5484人)の比較臨床試験データでは、延命効果についても、否定的な結果となっている。

このデータは患者を4グループに分け、第1群はマイトマイシンC、テガフールなど化学療法剤の単独投与、第2群は化学療法剤にピシバニールを、第3群は同じくクレスチンを、第4群は同じく両方をそれぞれ併用投与し、その差異を調べたものだが、まず、除外・脱落例が全体の28.2%に達し、生存率の信頼性に問題が残ったと指摘。さらに、生存率は単独群に比べて併用群ほど高くなる傾向を示したものの、統計上、有意であるとの結論にはほど遠いとしている。このため、調査会委員の中には「マイナスデータを詳しく調べてみる必要がある」との意見も出ており、“効かないデータ”の再提出を求めるかどうかが、今後の焦点になりそうだ。

厚生省では来月13日付でクレスチンの類似医薬品(後発品)を薬価基準に追加収載する方針のため、遅くとも、今年中に結論を出してもらいメメーカー側に内示したいとしている。』

と記してクレスチンのデータに疑問を呈しているが、これも調査会に関与する機関からのリークであろう。

 

週刊誌も取上げた。昭和64年4月に週刊新潮は「疑惑の抗がん剤クレスチンを推進した“権威”」と題し、特集を組んだ。



その中で

とにかく、クレスチンはよく売れる。ファミコンソフトの「ドラクエⅢ」が爆発的に売れて話題になったが、クレスチンに比べれば物の数ではない。ケタが違う。

3年前に東京プリンスホテルで「クレスチン発売8周年記念大会」なるものが開かれた時、通算売上げは五千億円を突破。今では七千億円に迫ろうかと言う勢いなのだ。

抗がん剤としては文字通り売上げ世界一、超ベストセラーとなった商品なのだが、不思議なのは、これほど使われている薬なのに「クレスチンはガンによく効きますよ」と断言する医者が殆どいないこと。そんな薬がなぜ大量に売れるかと言えば「クレスチンは圧倒的に副作用が少ない。実に使いやすい薬なんです」と、世田谷区で多くのがん患者を扱っている病院長は言う。(中略)

クレスチンを気休めで使っていると言う医者は結構いる。また、数年前、広島の総合病院でニセ物が出回ったことがあった。あるキノコ業者がサルノコシカケを粉末にし、色をクレスチンそっくりの褐色にして病院に安く売ったのだ。クレスチンは1g1000円近くもする高価な薬なので、病院側は大喜び、何の疑問も抱かず、このにせクレスチンを3、4ヶ月間患者に投与し続けた。結局、このキノコ業者が派手に商いをしたことで、初めてにせクレスチンの存在が明るみに出たわけだが、要するに、本物もニセ物も効果はさして変わらないらしいのだ、クレスチンは・・・(中略)

「制がん剤は大別すると2種類あって、直接ガンを叩く化学療法剤と、もとから人間の体内にある免疫力を強化する免疫療法剤。免疫療法剤は日本だけのもので、諸外国にはありません。その第1号が50年10月に発売された「中外製薬」のピシバニールで、第2号が「呉羽」が開発し、「三共製薬」が52年5月に販売を始めたクレスチンです。ピシバニールは初の免疫剤ということで、認可まで5年以上かかりましたが、クレスチンの方はわずか1年でした」(ある医事評論家)

以来、クレスチンは“疑惑の制がん剤”と呼ばれるようになる。

「先ず、おかしいのは、クレスチンの開発に関わった桜井欽夫(前癌研究会癌化学療法センター所長)、塚越茂(同センター副所長)、伊藤一二(元駒込病院副院長)の各氏が、認可する側である医薬品特別部会の「抗悪性腫瘍剤調査会」の委員だったことです」と先の評論家は指摘する。

「しかも、認可に当たっての審議が実にいい加減に済ませれている。1回目の審議は“飲み薬でガンが治るものか”、“もっと慎重にすべきではないか”といった議論もあったようですが、2回目は露骨な多数派工作が行われた。そして、“癌研の超1流の先生たちが開発したわけだから”とロクに審議もしないで認めてしまった。そんな過程で認可されて言ったのだから、クレスチンは正に疑惑の薬です。私は治験データが捏造されていたのではないかとさえ疑っているんです」(中略)

クレスチンが認可された後の9年間、あの丸山ワクチンを含め、免疫療法剤の承認はストップされてしまったのだ。つまり、認可のハードルを高くして競争相手を締め出した・・その元凶と目されているのが、桜井氏を代表とする癌研グループ。その桜井氏が(共立薬科大学理事長)こう語る。

「データを見ていただければ分りますが、クレスチンに関して私が力を入れて推進したとか、そんなことはありませんよ。私がやったのは、製薬会社に依頼されて、その薬がネズミに効くかどうかという実験だけです。私が薬事審議会のメンバーに加わっていたことで、クレスチンの申請から認可まで短期間ですんだという方もいらっしゃいますが、薬事審議会は1人や2人の力でどうなるという機関ではないですよ」(中略)

それはともかく、これまでクレスチン疑惑に対し、見て見ぬふりをしてきた厚生省も、漸く重い腰を上げたように思える。もっとも、今回、行う薬効の見直しは

「特別、クレスチンやピシバニールだけを選んで再評価するということではないんです」

と、厚生省の薬務局安全課では言う。

「それまで薬の認可基準は安全性重視でしたが、昭和42年からは有効性についても重視するようになりました。そこで、42年以前に認可された、全ての薬の再評価をし、また、42年以降の薬でも学問の進歩によって時代遅れになっているものもあるかもしれない、ということで始めたものです。抗がん剤を例に取ると、現在の認可基準では、投薬後、その癌細胞が50%以上小さくなり、それが4週間続かないといけないことになっています。この腫瘍縮小率の基準は、クレスチンやピシバニールが認可されたころは25%以上でしいたからね。今回、再評価される抗がん剤は11種類です」

表向きは、あくまでも、「クレスチン疑惑とは関係ありませんよ」と言う態度なのだ。          


 朝日新聞が創刊した「AERA」の第3号(1988.6.7)はSPECIALとして“抗がん剤1兆円の気休め”と題し、クレスチン・ピシバニールを取上げている。



  

 この中で、呉羽、三共、中外製薬の3社がクレスチン・ピシバニール販売後経常利益が急進し、各社の経営不振を一挙に吹き飛ばしたと述べ、福島雅典、近藤誠両氏が臨床試験のレベルの低さと発表雑誌の低レベルなどの問題を指摘し、ONCOLOGIA社を尋ねたら、呉羽の東京第2研究所の真新しいビルにあり、クレハの制服を着た編集部の女性が責任者の不在をわびたと記している。

 論文雑誌も作る製薬会社の見出しで「オンコロジア社」が呉羽、「癌と化学療法社」が大鵬製薬の肝いりで作られ、「がん集学的治療研究財団」も呉羽、三共、中外など5社が基金を出し設立したとし、これは業界の常識であると述べている。

再評価に関して

呉羽三共を代表して鈴木嘉平・三共医薬情報部長が「効く効かないは学問の世界で学者が発表していること。学者がいい加減なものを出すわけがありません。再評価のために今年の21日に厚生省に提出した資料は、内容に自信があります。どんな結果が出ますか。成田山にお参りしてますけど。」

中外製薬の平坂義信・常務開発本部長が「厚生省に再評価のための資料提出をすませ、おかみの裁きを待っているところです。今は俎上にあがっている身、ことはデリケートな問題です。判決が下りるまでは、我々はしゃべりたくないのです。」

厚生省の代田久米雄・官房審議官は「免疫剤は世界的に見ても効くか効かないかが学術的に明確に決まっていない。例えば命が1日延びたからといってどんどん売ってよいのか、これが社会的常識なのかという議論にもなる。しかし、メーカーはおかまいなしに次々と効くというデータを突きつけてくる。行司役をせざるをえないので、困っている。クレスチン、ピシバニールが売れ過ぎたといっても、医師の処方権に踏み込んでいく話しなので微妙な問題だ」と囲み記事がある。更にプロパーの告白として、「私らの業界で最もカネが動く部門の1つが抗がん剤です。精神病だの循環器だのに比べて担当者の使うカネが全く違うのです。新薬の臨床評価は、いかにドクターを組織化するかの勝負。トップに据える人物は、皆に威令が及ぶ人物でないとまずい。その先生をつかめば半分成功したようなもの。新薬の臨床試験をやる時は1流のホテルの宴会場を借りきって何百人というドクターに集まってもらう。もちろん、お車代も宿代もかかる。後日、中間検討会だの分科会だの、それは大変な出費だ。1症例いくらという相場はありませんが、普通は10例で30万円なんてとこではないでしょうか。これも各社競争になれば高くなる。なにしろ患者の数は限りがあるんだから。臨床試験のデータ集めはもちろんプロパーの仕事です。あっちの病院、こっちの大学と、月に20日もホテル住まい。昔は飲み屋で先生がかばんからカルテを出して「お前、書けや」なんてこともありました。データが揃ったら、会社に持ち帰る。コンピューターの解析担当者がまとめる。論文の下書きも会社の仕事です」という囲み記事も掲載している。


 桜井欽夫下・中央薬事審の抗悪性腫瘍剤調査会座長の話として「がんのクスリは本当によく効くという証明はないのです。臨床試験のデータが出て、これを及第落第と判定しなければならない。どこで線を引くか。これはサイエンスなんかじゃない。決めればいいのです。多数の患者の経験を持つがんの臨床家がお決めになることなんですよ。クレスチンの評価は・・今のところ最初の臨床試験しか持ってないですからね。効かないとはいえないけれど、効いたともいえない。昔の判断基準でやったものなのだから。だから再評価になったのです。今の免疫のクスリが本当に効くのか効かないのか、まあ無力であるかも知れんけれども、ああいう線からいいクスリが出てこないと化学療法は完結しないわけよね。

ものすごく売れちゃったというけど、騙して売っちゃったならけしからんけど、専門の医者が使ってるのに、どこに文句持ってをいいのかわからじゃないですか。犠牲者が出たら別だけど(意外に非科学的なんですね、の問いに)今もそう。がんのクスリが1番ひどいけどね」と囲み記事にある。

ここに出てくる「がん集学的治療研究財団」は当時九大2外科の教授だったI先生が臨床試験をお金の面からクリアにしようと財団法人を認可できないか検討することになり、法学部出身のTがその可能性を検討し、それを元に結果的には昭和55年に認可された法人である。

この話がI教授からN専務に持ち込まれた時、その話をN教授に伝えたら教授は激怒し、PSKは評価が未だに定まったわけではなく、先ずはコントロールが利く九州地区あたりで適切なプロトコールを見極める試験をすべきだとNを諭したが、NはI教授に信頼を寄せ、財団設立に呉羽が協力するようになった。後日対応に苦労することになったが、その時にはNは引退していた。

 

財団のホームページから設立の発端から特定研究の結果を引用する。

設立の発端

財団法人がん集学的治療研究財団は1980(昭和55)、厚生労働省医政局(当時の厚生省医務局)所管の財団法人として、翌1981年(昭和56年)12月に所得税法等に係わる特定公益増進法人として認可されました。

当時は一般に企業依存型の臨床試験が行われていました。財団法人がん集学的治療研究財団の設立の発端は1975年に発足した胃癌手術の補助化学療法研究会(略、胃手化研究会)です。胃手化研究会の研究は企業からの研究費支援により、胃手化パイロット研究と進みましたが、このままでは「研究費の使途などについて、もしも当局から説明が求められた時には充分な説明が困難かもしれない」という問題提起が企業側からおこりました。これが契機となり中立の第三者機関としての財団法人の設立が具体化したのです。

これはICHに向けてのGCPの制定等、わが国が治験のシステムづくりに着手するより、約10年ほど早かったのです。

設立当初の発起人企業は次のとおりです。

大鵬薬品工業株式会社

三共株式会社

呉羽化学工業株式会社

中外製薬株式会社

協和醱酵工業株式会社

三井製薬工業株式会社

山之内製薬株式会社

旭化成工業株式会社

アイ・シー・アイファーマ株式会社(現ゼネカ薬品株式会社)

 

JFMC01-8101 (特定研究1)

タイトル;胃がん手術の補助免疫化学療法

集積期間;1981.41983.8

集積症例数;7,637267施設)症例、 解析対象症例数;6,241症例

報告書提出:1992.3

治療スケジュール;


結果;

  • 118.3%が不適格(1,396/7,637)。無作為割付の不備、投薬コンプライアンスに問題あり、生存率に係わる薬効評価は本研究からは行えなかった。
  • 2)本研究の実体を反省して、電話による割付の中央化、データの質の向上のためにP.C.S.を工夫する契機となった。

 

JFMC05-8502 (特定研究5)

タイトル;

  • 胃がんに対するPSKまたはOK-432を用いた補助免疫化学療法の最適の組み合わせに関する比較臨床試験

集積期間;1985.101987.9

集積症例数;2149症例(第1668症例、第2779症例、第3702症例)

解析対象症例数;2094症例(第1651症例、第2763症例、第3680症例)

報告書提出:1998.9

治療スケジュールと結果;

  • 1法、第2法、第3法いずれの検討においても、全体として各群間に生存率の差は認められなかったが、その詳細は次の通りである。
    • 1
      • 抗癌剤としてtegafurをベースに経口投与し、tegafurのみの群(A群)、BRMとしてPSKB群)、OK-432C群)を加えた群の3群で比較試験を行った。S2、S3651例について解析を行い、次のような結果を得た。
        • 1)副作用については骨髄障害、肝機能障害などがみられたが、その発現率については3群間には差は認められなかった。
        • 2)5年生存率はそれぞれA群47.0%、B群52.8%、C群49.3%であり、B群で高い傾向にあったが有意差は認められなかった。pTNMステージ別の検討においてもⅢaⅢbBC群が高い傾向にあったが、有意差は認められなかった。
    • 2
      • BRMとしてPSKをベースに経口投与し、抗癌剤としてtegafur投与(A群)、5-FU投与(B群)、carmofur投与(C群)を加えた3群間で比較試験を行った。S2、S3763例について解析を行い、次のような結果を得た。
        • 1)副作用については骨髄障害が最も多かった。発現率について3群間で有意差が認められたものはHb減少(P=0.002)、意識異常(P=0.015)、末梢神経障害(P=0.009)であり、Hb減少がA群、C群で高く、意識異常、末梢神経障害がC群で多くみられた。
        • 2)5年生存率はそれぞれA群54.1%、B群54.1%、C群54.9%であり、3群間に有意差は認められなかった。
    • 3
      • BRMとしてOK-432をベースに投与し、抗癌剤としてtegafur投与(A群)、5-FU投与(B群)、carmofur投与(C群)を加えた3群間で比較試験を行った。S2、S3680例について解析を行い、次のような結果を得た。
        • 1)副作用については骨髄障害が最も多かった。発現率について3群間で有意差が認められたものは白血球減少(P=0.007)、意識異常(P=0.037)、末梢神経障害(P=0.029)であり、白血球減少がB群で高率に、意識異常、末梢神経障害がC群で高率にみられた。
        • 2)5年生存率はそれぞれA群54.8%、B群47.4%、C群49.4%であり、3群間に有意差は認められなかった。

 

JFMC11-8704 (特定研究11)

タイトル;胃がんにおける免疫療法剤単独投与の有用性に関する研究

集積期間;1987.101989.9

集積症例数;230症例、 解析対象症例数:228症例

報告書提出:1997.12

治療スケジュール;

  • S(-)胃癌の胃切除例を対象としたCPA前投与でkiller cell を誘導し、その後PSK単独投与を行う。

  • 1AB両群間の生存率に差は認められなかった。
  • 2)血清中リンパ球幼若化抑制因子(SI値)の術後の回復はA群はB群よりも速やかだった。
  • 3IAP術前値 580μg/ml、術後値 300μg/mlをカットオフ値としたとき、これ以下の症例の方が予後良好の傾向にあった。これは特定研究1において認められたことの再確認であった。

このように(特定研究1の結果)脱落例が多すぎて試験の成立が疑われる結果が得られ、これがきっかけになって、より精度の高い臨床研究が必要との認識が得られた貴重なデータであった。

その後実施された特定研究5はそれでも有意差が得られなかった。また、特定研究11においてもPSK群と手術単独群において生存率に有意差が得られなかった。

結果的には財団設立に協力し、基金を拠出し、PSKのネガティブデータをひたすら作った無駄な努力となり、財団設立前にN教授が喝破した「PSKの評価をコントロールの利く九州あたりで実施し、評価がポジティブになるようなプロトコールが得られてから、全国規模の臨床試験を実施すべきだ」がいかに的を得たものであったかが判る。

呉羽はこの特定研究が有意差を持って終了し、公表文献となり、再評価に際し有望なデータになるかと期待していたので、手痛い失敗であった。

呉羽はマスコミからの取材にいかに対応するかを検討し、すべては財団が判断することだとひたすら財団に責を負わせた。

実務として一時期財団の特定研究の解析は呉羽が担当した。ある時点で有意差が得られないことが判明したと思われるが、何らかの手を打つことも無くそのまま報告書になったのは医薬品部あるいは医薬情報部の怠慢であったと考えられる。また財団を作るときにN教授の意見を取り入れず、I教授の意見を取り入れた医薬品担当のN常務の判断がクレスチンを潰した原因であろう。

  ジャパンポストも記事化しているが割愛する。

        

            ジャパンポスト1987年11月号

 

クレスチンの再評価を時系列的に振り返ってみよう。

昭和62年10月1日薬発第854号厚生省薬務局長通知「医療用医薬品再評価に関し資料提出を必要とする有効成分等の範囲(その5)について」(前掲)で

「薬事法第14条の3の規定に基づき、再評価を受けるべき医薬品の範囲を指定する等の件を別添昭和62年10月1日厚生省告示第168号をもって公示したので、その取扱いについては下記の諸点について御留意のうえ、貴菅下関係各業者に周知徹底を図るとともに、円滑な事務処理が行われるよう御配慮を煩わせたい。」

として医療用単味剤として21品目をあげその10番目にクレスチンを指定した。ちなみに9番目にピシバニール、11番目にテガフールも指定されている

公式的には上記の局長通知による再評価の指定だが、実際には丸山ワクチンとの関連でピシバニールとともにマスコミ、国会等で再三話題になり、その過程で政府、厚生省、薬務・医療行政、医学会等に対する攻撃材料として、クレスチンやピシバニールの効果に対する疑問、審査過程の疑問が指摘され、国会で政府側が再評価を実施する旨の答弁を行った等の背景があったと思われる。 
 
指定に基づき再評価の資料を作成し審査を受けた。
主な文献資料は薬効薬理の基礎試験関係305報、臨床試験関係504報などであったが、審査用の臨床試験では比較臨床試験のデータ(胃癌14報、食道癌3報、結腸直腸癌3報、肺癌5報、乳癌1報、急性白血病2報)と一般試験は7報(胃癌3報、食道癌3報、結腸直腸癌1報)でいずれも他の化学療法剤との併用であった。比較臨床試験が多いのはクレスチンが免疫療法剤として評価されるという誤った考えに基づいたもので、クレスチン開発者のYは当初の臨床評価は腫瘍縮小効果であったので、再評価も腫瘍縮小効果のデータを出すべきではなかったと言って、縮小効果のデータを主な(単独試験を実施してくれるような)ドクターに頼もうとしたが、時既に遅く医薬品部は上記のようなデータを纏めて提出してしまった。担当は医薬品部のAであった。


昭和
632月に再評価申請書を提出し再評価調査会抗悪性腫瘍剤部会において10回審議された。平成元年12月に中央薬事審議会特別部会、同常任部会で審議されて、その結果が1220日付けで厚生省から公表された(平成元年1220日薬発第1134号「医薬品再評価結果 平成元年度(その2)について)。

クレスチンの再評価の結果、効能・効果は

*「胃癌 (手術例) 患者及び結腸・直腸癌 (治ゆ切除例) 患者における化学療法との併用による生存期間の延長

*小細胞肺癌に対する化学療法等との併用による奏効期間の延長」

と使用対象が限定された。単独使用の症例報告がないためである。 
 
この結果について平成元年12月20日薬務局安全課がリリースした「クレスチンの再評価結果について」は下記の通りである。

『クレスチンはかわらたけの菌糸体から得られた抗悪性腫瘍剤で、呉羽化学工業により開発され、昭和51年8月20日消化器癌等に有効であるとして承認された。昭和62年10月1日、承認後の医学、薬学の進歩を踏まえて有効性全般の見直す必要があるとして他の10種の抗悪性腫瘍剤とともに再評価に指定され、再評価の申請があった昭和63年2月1日以降、再評価第5調査会(座長;吉田清一 埼玉県立がんセンター総長)での10回に渡る検討の後、12月13日の再審査・再評価特別部会(部会長;小林拓郎 帝京大学医学部教授)及び本日の常任部会(部会長;鈴木郁生 日本公定書協会会長)での審議を経て本日中央薬事審議会の答申が行われた。

 審議の結果、一部の効能が削除され、残りの効能については限定が行われた。また用量についても一部が改められた(表1)。

 基礎試験成績については85報の資料が提出され、各種の動物試験で抗腫瘍効果が認められた。これらの効果は腫瘍細胞への直接的な障害作用と宿主介在性の障害作用が共同的に作用して発揮されるものと考えられた。

 臨床試験成績は、抗腫瘍効果と延命効果とに分けて検討された。これは、抗腫瘍効果と延命効果とではその臨床評価の方法、効能・効果の許可の与え方において大きな違いがあるためである。

抗腫瘍効果は日本癌治療学会の判定基準に照らして評価された。この判定基準は、承認時に用いられた同学会の旧判定基準に比べ、奏効期間が考慮されており、また有効と判断される腫瘍の縮小の程度においてもより厳しいものとなっている。クレスチンが単独で使用された症例についての報告20報が検討されたが、多くの症例で奉効期間が明らかでなく有効性の評価が困難であり、文献上有効であったと思われる症例もほとんどないことから医薬品として許可できるほどの抗腫瘍効果は認められないと判断された。

 延命効果については、いわゆる桜井試案(桜井欽夫癌研化学療法センター所長(当時)を班長とする「悪性腫瘍に対する免疫療法剤の評価方法に関する研究班」報告)を踏まえて実施された無作為化比較試験に関する26報が評価された。その結果5報で対照群に対してクレスチン使用群で明らかな延命効果が認められるなどその有効性が確認され、5報7試験で有効性を支持する成績が認められた。尚残りの16報については、成績が雑誌に公表されていないあるいは、承認適応以外の癌に使用されている等の理由で評価の対象になりえないとされた。延命効果についてはこれまでに許可が与えられている他の医薬品と同じく比較試験で有効と認められた範囲に限定して効能・効果を、認めることとされ、表1の通りとされた。また用量については有効と認められた比較試験での1日投与量が何れも1日3gであることから現行の「症状により適宜増減する」が削除された。

安全性については承認後に行われた副作用発生頻度調査の結果は1.03%で承認前の成績とほぼ同等であり、重篤な副作用も報告されておらず、現時点での特段の措置をとる必要はないとされた。

再評価結果は本日付で公表され、承認事項の一部変更の手続きが行われるとともに本日以降製造、販売される製品については表示の変更が義務付けられる。

1

 

現行

再評価結果

効能
効果

消化器癌(胃癌、食道癌、結腸・直腸癌)

肺癌

乳癌

胃癌(手術例)患者及び結腸・直腸癌(治癒切除例)患者における化学療法との併用による生存期間の延長

小細胞肺癌に対する化学療法等との併用による奉効期間の延長

用法用量

通常1日3gを13回分服する。ただし症状により適宜増減する。

通常1日3gを1-3回に分服する

 

この結果に基づいてクレハは製造承認事項一部変更承認申請書を福島県経由で厚生大臣に1220日付けで提出し、平成2119日付けで再評価の効能・効果と用法・用量の変更が確定した。


この結果は翌日の各種新聞に取上げられ、呉羽の株価はその日からストップ安が続いた。クレスチンは確かに会社の株価に大いに貢献したことがこれでも良くわかる。

 業界新聞である薬事日報は上記の厚生省発表を殆ど記事化し、同様にピシバニールについても記載している。とともに秀島三共広報課長談として「クレスチンは今回の再評価の結果、有効性が評価されたと理解している。今後もガン治療の一助として医療の場に貢献したいと期待している」と記した。

 読売新聞の記事を紹介すると

2抗がん剤評価変え クレスチンとピシバニール「単独では効果薄い」中央薬事審

 抗がん剤として全国一の売上げの「クレスチン」や同3位の「ピシバニール」の再評価問題で、厚生省の中央薬事審議会は20日、常任部会を開き、両剤とも単独での腫瘍縮小効果はほとんどないとし、一部効能の削除や化学療法剤との併用を義務付けなど適応範囲を厳しく制限する答申をした。答申によると「クレスチン」は、従来認められた効能の「消化器(胃、食道、結腸・直腸)、肺、乳の各ガン」から再評価の結果、乳癌の効能を削除。さらに手術後の胃癌患者らに対し、化学療法剤との併用を条件に延命効果を認め、小細胞型肺癌の患者に限り化学療法剤などの併用で効果を認めた。「ピシバニール」は(中略)。

厳しい再評価となったのは、日本癌学会の効果判定基準が昭和61年変更となり、腫瘍50%(以前は25%)縮小、再発のない状態が4週間以上持続と厳しくなったためという。また、制がん剤と併用効果があるとされた「ウロキナーゼ」(商品名・同=ミドリ十字)の6千単位の製品など、有用性が認められない3製剤の製造、販売の中止が決まった。』

朝日も1210日に大きな見出しで

『抗がん剤「クレスチン」「ピシバニール」 単独での薬効ほぼ否定

薬事審が結論 併用では延命効果

年間の医薬品売上げランキング最上位を占める抗がん剤「クレスチン」「ピシバニール」の有効性について、厚生省の中央薬事審議会は9日までに、専門部会の再評価結果をまとめ、近く公表する方針を固めた。同省は、この二つの薬剤の製造を承認した時点で、大半の癌について、それぞれ単独で効き目があるとしていたが、今回の審議によって単独での効果はほぼ否定され、効能は別の抗がん剤との併用によるがん患者の延命効果に狭められる見通しだ。』

と報じている。

また、朝日は常任部会の開催前の19日付けで


『抗がん剤「クレスチン」

「延命効果」論文に薬事審2人が関与』

との見出しでクレスチンの論文が審議委員2人の下で作成され、問題作成者と回答者が同じではないかと申請時の時と同じ問題があると指摘している。

これは『この論文は「進行胃癌に対するPSK(クレスチン)の臨床効果――無作為化比較試験の成績」。呉羽化学関連3社で設立した出版社発行の医学雑誌「オンコロジア」に85年秋発表されており、研究者はこの内科部長、病院長ら全国7医療機関の9人の医師』として論文の表紙が写真で示されている。これはPSK研究会(三共)内科胃癌の報告書である。

『別の抗がん剤との併用でクレスチンの延命効果を認める論文をまとめ、中央薬事審議会での審査にも加わっていたのは、東京都内の民間がん専門病院の内科部長と、東北地方の国立大学研究所付属病院の病院長。厚生省によると、クレスチンの有効性再評価は198710月から同薬事審再評価第5調査会の抗悪性腫瘍剤小委員会(7人)で行われた。内科部長は8511月から、病院長は8610月から同小委に所属している。』

ここでも厚生省の代田薬務局審議官は『委員は第一線の医学者集団で構成されており、発表している論文も多い。審査時には座長の求めがない限り審議から外れる事をルール』としており、適正な答申が得られているとし、愛知がんセンターの福島雅典内科医長の談話は『評価の客観性に疑いを招くことは明らかだ。現在の、わが国の薬剤売上げ上位30品目のうち、約半数は欧米各国で認められていない製剤で、厚生省、メーカー、医療関係者とも薬に対する取り組みを真剣に考え直す時期に来ている』と述べている。

 また朝日新聞12月22日には愛知がんセンター福島先生のコメントを載せている。

          

また福島先生は「クレスチン・ピシバニール再評価の科学的問題点」と題し(正しい治療と薬の情報5巻1号(1990/1/28発行))に再評価でのデータを問題ありと追求している。

この中でクレスチン、ピシバニールの再評価結果を踏まえ『一見、厳密に見える今回のこの再評価委員会の判断には科学的に重大な疑問点がある。この判断の背後にある問題はクレスチン、ピシバニールに限らず全ての薬剤の評価に共通しているので・・・』として問題点を取上げている。

『再評価に基づく中薬審判定の論理的矛盾(略)

クレスチン、ピシバニール再評価の根拠論文の問題点:さて胃癌手術においてクレスチンの抗癌剤との併用による使用を認める根拠となった論文は1985年に出版された3編と1989年の1編である。結腸・直腸癌については1989年の論文1編で、小細胞肺癌に対しては1988年1編である。これらの論文はすべて無作為比較試験の体裁をとっている。しかし、1985年の3論文では除外例がいずれも15%以上で最大26%もあり、それぞれの生存率の統計的有意差レベルを超えてしまっている。1985年にCancerTreatmentReportに採択されたmethodologic guidelineに照らして、この3論文は研究デザインにすでに著しい欠陥があることになり信頼できない。(中略)

その後論文中身について種々の疑問点をあげ、これらの問題点が解決されないと有用性を主張できないとし

『以上述べたように、クレスチン再評価の根拠となった三つの無作為比較試験の研究報告は、MedicalOncologyClinicalPharmacologyおよびClinicalTrialMethodologyの常識に照らし、冷静にrefereeの立場で読むならば、科学的な1つのevidenceを提示しているとは言いがたいし、著者らの主張する結論をこれらの「論文」から導くことはとうていできないのである。まずこのようなものが論文として世の中に出回っていること自体が問題であるが、それを見抜けない中央薬事審議委員会とは一体何なのか。このようなことが延々と行われているわが国の現状に、筆者は深い憂慮の念を持っている。科学的レベルの低い、現在のような医薬品承認のあり方がもたらす害悪は計り知れない。繰り返し起きる薬害の根源の1つはまさここにあるし、このような「論文」の横行が日本の医師の科学的レベルの向上と診療の質の向上をいかに阻害し、ひいては製薬企業の開発力を著しく損なっているか、厚生省の担当者も企業の方々も、そして医師も、もう気がついてよいのではないか。』と締めくくっている。

私達は福島先生とは何度も食事を共にしたこともあり、彼のモノクローナルに関する研究に大いに協力もした記憶がある。我々のグループがクレスチンの開発グループだとは認識していなかったのかも知れないが評価は厳しかった。彼はその後も臨床試験のあり方について辛辣な意見を至るところで述べ続けている。ただ面白いのは呉羽のk247の臨床試験の論文を発表しており、これは単にk247を使ったら効果があったという論文で若干矛盾も感じられる。このデータもK-247の申請データとして使われたのだが・・・

             愛知がんセンター福島先生の原著

 国際医薬品情報1990/1/8号に朝日新聞の松本正が「医薬品の真価と制がん剤再評価」-医薬品の適正なあり方を示唆-と題し、上記とほぼ同じ内容を述べている。


1990120日号の週間東洋経済に「制がん剤、抗痴呆症剤の欺瞞:効かない薬が売れる仕組みを暴く」と題し、クレスチン、ピシバニールの再評価と後日承認が取消された抗痴呆症剤について論じている。

その中で

『医薬品再評価とは以前承認された医薬品の薬効を見直そうと言うもので「承認は永久なものではない。学問、医学の進歩を反映させる必要があるため」(代田久米雄・厚生省官房審議官)だ。「すでに2万品目が審査され4%が有効性なしとされ、承認が取消され、残り96%の半分は効能の一部を削られたり、用法用量の変更がなされている()という。クレピシもその再評価を受けたわけだ。しかし、両剤に社会保険より支払われた金額は累計1兆円を越すとされているだけに、これまで効かないクスリに広範囲な効能・効果を認め、野放しにした薬務当局に批判が集まっている。これについて、厚生省は「制がんの判定基準が86年より変わったため」(海老原格・安全課長)と説明する。制がん剤の判定基準は抗腫瘍効果と延命効果の2点。確かに、このうち抗腫瘍効果の判定基準は日本癌治療学会の基準を用いているが、それが「腫瘍(ガン)の縮小率25%以上」から「50%以上、かつ4週間以上続くこと」に変更され、ハードルは高くなっている。

ではなぜ最初からこの基準を用いなかったのかとの疑問がわくが、「当時は25%の基準が学会のコンセンサスになっていた。われわれとしてこんな基準はおかしいとは言えない」(代田審議官)として、学問の進歩によりモノサシが変わったことを強調する。ただ、1兆円も支払わされた国民にはなんとも釈然としないものが残る。』以下クレピシが大型商品になった理由を解説している。

その後武田の「アバン」などの脳循環代謝改善剤(抗痴呆症薬)が抗がん剤よりも売上げが上回る市場に成長したが、この薬効にも疑問が出ていることを指摘している。(詳細は省くがアバンなどは後日承認を取消された。これらの判定基準も主治医の主観が入るものとされ、いわば業者側の意にかなうドクター達を揃えれば申請可能という見本であろう)

 脳循環代謝改善剤(抗痴呆症薬)の再評価についてはその方法や結果について興味ある現象が起こった。

その様子は「月刊ミクス」1998年9月号p82“脳循環代謝改善剤、再評価審議結果 「4つの脳代謝改善剤が現役を引退せざるを得なかった理由」と題し解説しているのでそれを引用しよう。

93年11月1日にイデベノン、塩酸インデロキサジン、プロペントフィリン、ニセルゴリンを含む27成分の「脳動脈硬化症」の効能について再評価の指定を行い、96年3月7日に同効能を削除した。(「脳梗塞後遺症」として包括された)

1996年4月19日「脳梗塞・脳出血後遺症」について5成分を再評価指定。

イデベノン(アバン・武田)、塩酸インデロキサジン(エレン・山之内)、塩酸ビフェメラン(セレポート・塩野義)、プロペントフィリン(ヘキストール・ヘキスト)、ニセルゴリン(サアミオン・田辺)である。

それぞれの成分について臨床試験が実施され、ニセルゴリンを除く4成分はいずれもプラセボ群と比較して有用性が認められず、1998年5月19日再評価結果が通知され、販売中止、回収となった。ニセルゴリンはプラセボ群の効果が13.5%と低かったため、投与群の有用性が証明されたとして、効能効果が認められた。

問題は色々あるが、厚生省の見解に対しては矛盾があると指摘されている。ニセルゴリンの臨床試験が短期間で1施設あたりの症例が多く、試験が適切に行われた証拠であるとした。が、4成分の試験ではプラセボ効果が高い理由として「早期診断・治療の影響、併用薬の充実、リハビリ・介護の改善など医療環境の改善により、プラセボ群の効果が上がったために実薬との差が検証されなかった」と説明したが、ニセルゴリンでは「1施設あたりの症例数が多く、試験期間が短く評価のメリハリがつきやすかった」と説明。

結局、(臨床試験の方法が少し異なると異なった結果が得られることを厚生省も認めており、医薬品の臨床試験の難しさがうかがえるが)説明の矛盾は解明されないまま、問答無用で終結している。これをみる限り(大手の医薬メーカーでもこれほど難しいプロトコールや試験の実施方法で失敗するのであるから)呉羽の医薬学術部の未熟なことが殆どの治験薬で失敗した原因であるということが明らかであろう。医薬学術部には薬学出身は皆無に近かったし、他社から新たに採用した学術経験者は呉羽からしばらくしたら大半退職していた。

 

 クレスチン、ピシバニールの再評価を受けて(社)日本病院会 会長諸橋芳夫から日本製薬団体連合会会長河村喜典あてに平成元年1227日付けで「抗がん剤(クレスチン、ピシバニール)について」という質問書が出された(同様のものが厚生省にも提出された)


『(中略)両剤は過去10数年感に1兆円以上販売され、がん患者に使用されてきております。かねてよりこの両剤については効果が疑問視され、欧米では使用されておらず、今回漸く単独では効果が殆ど無しとされました。従って今日迄これらの医薬品が適正に使用されたとはいいがたく、医療費の無駄遣いであって、亡くなった病人及び家族に膨大な経済的負担をかけ、健保財政に大きな被害を与え、且つ又、一般国民の医薬品への信頼を大きく傷つけたものと思考します。当会員病院において医薬品の適正使用のため、及び国民の医薬品への信頼回復のためにも、今後どのように医薬品業界をご指導なさるのかご教示をお願いします。』

 これに対し河村は


『(前略)さて、先般は、当会会員会社の抗悪性腫瘍剤の再評価に関する指導につき、ご書面を頂戴致しましたが、いずれの医薬品も有効性、安全性につきまして厚生省の厳正な審査を経て承認されたものであります。しかしながら、最近の医学薬学の著しい進歩により、それら厳正な評価を得た医薬品におきましても、市販後新しい情報に基づき有効性、安全性を見直すための再評価が行われております。今回、ご連絡のありました抗悪性腫瘍剤につきましては、関係会社に起きまして、厚生省と十分連絡の下に添付文書の改訂、日本医師会雑誌、日本病院薬剤師会雑誌等を通じ、医療機関への周知徹底を図りつつありますし、当連合会におきましても「医療用医薬品再評価のご案内(No33)、平成元年度(その2)」を作成し雑誌掲載又は配布することにより医療機関に対する周知徹底を図っております。なお、医薬品再評価の結果に基づく適正使用のための情報伝達については、厚生省薬務局長からの「再評価が終了した医療用医薬品の取扱について」(薬発第594号昭和62711日)の通知を会員会社に対して周知させ、また再評価の結果を尊重し、協力していくよう指導しております。以上のような状況でありますので、事情ご賢察の上、ご諒承の程お願い申し上げます。』

と回答している。

薬務局長もほぼ同様の回答をしており、承認後の医薬品の見直し体制を一層確実なものとするため、すべての医薬品について、原則5年毎に再評価を行うシステムを導入する等、市販されている医薬品の有効性、安全性の確保に積極的に取組んでおり、貴会においても多大なご協力をお願いする次第であるとしている。

 

朝日新聞199037日朝刊の社説「20兆円の医療費は高いか」の文中において「効果がほぼ否定され使用制限されることになった。効きもしないこの薬に国民が払った医療費は1兆円を越える」とする記事。

に対し、また、週刊新潮1989年12月21号において「1兆円稼がせたあとで出した「例の抗がん剤」の無効発表」と題する記事
     
について、クレスチンの無効を強調する偏見に満ちた記事であり如何であるとの抗議を行ったと記憶していたが、その後両社がどうしたかは定かでない。 
 
その他各新聞社や雑誌が多くの記事を掲載したが内容的には上記とほぼ同じであったので割愛する。
 
さて昭和も終わり平成の時代になったが、呉羽化学は再評価とゾロ品の出現により医薬品単品売り上げNo1だったクレスチンの急激な販売髙の減少が響き、毎年マイナス成長に陥った。この頃になると化学界の「ソニー」といわれた呉羽も業界紙で叩かれるようになった。代表的なものをいくつか紹介しよう。

      

         ジャパンポストより(平成元年頃?)

『2期連続の大幅減益になった「超優良企業」呉羽化学の大誤算』というタイトルである。超優良企業だの研究開発(R&D)型企業の小腸と言われていた呉羽化学工業が、手痛いつまずきを経験している。好況を謳歌している化学工業界で、ただ1社、マイナス成長に陥ったのだ。それも2期連続である。呉羽に一体、何があったというのだろうか。

と言うセミタイトルの後呉羽化学の1989年3月期決算書には売り上げ髙、営業利益、経常利益、当期利益の全てがマイナスになりそれも2期連続であると指摘した後、関係者が「やはりこうなったという感じ」と証言し「これまでが良すぎたんですよ」と言って笑ったと書いている。

”クレスチンこけたら・・・”

昭和52年、化学品メーカーの医薬品参入ブームのトップを切るかのように市場に投入した抗癌剤「クレスチン」の発売以来、呉羽化学は大きく飛躍してきた。クレスチンが売れに売れたからである。「薬9層倍」という言葉があるが、クレスチンは大変な儲けを同社にもたらし続けた。

「医薬品は単品で百億円以上の売り上げを記録すると大ヒット商品と言われる。ところがクレスチンは発売後、またたく間にその大台を超え、2百億円、3百億円台乗せしていったんです。昭和56年以後、全薬剤中のトップを誇る商品になった。まさにお化け商品です」(医薬品業界関係者)

クレスチン発売で、その売り上げが業績に1年間フルに寄与した昭和53年度(昭和54年3月期)の売上げ髙は779億円、経常利益は73億7500万円を記録。その後、売上高はもとより、利益にいたっては倍々ゲームで上昇した。クレスチンが薬剤市場のトップに立った57年3月期は売上高1038億円、経常利益113億3800万円、当期利益で45億4300万円と、53年度と比較して大きな伸びを示している。

クレスチンの売上高が325億円とピークを記録した60年3月期は、売上高1217億円、経常利益209億円、当期利益95億円、53年度と比較では、売上高にして1.56倍、経常利益で2.86倍、当期利益にいたっては3.96倍にもなっている。まさに「クレスチン、クレスチン、クレスチン・・・すべてがクレスチン」であったといって良い。

何しろ53年度から見ての売上高増分(438億円)の4分の3はクレスチンの売上(325億円)であったからだ(中略)

クレスチンに対する医学界からの低評価はさておき、激増する癌患者の治療薬として大きな期待を担い、ライバル不在の市場環境の中で、売上げは続伸に次ぐ続伸を続け、呉羽化学を化学業界の一方の“雄”に押し上げたのである。いわく「ファイン・ケミカルの旗手」「21世紀を担うR&D企業」といった具合である。クレスチンを中心とするファイン・ケミカル(精密化学)部門が売上高の50%を超えたことによる高評価である。

売上高経常利益率は17.2%と製造業平均の3倍近くにも達した。高評価が出るもの当然であろう。

だがクレスチンの売上高がピークを過ぎるとともに呉羽化学の業績は下降線を描き始める。売上高、利益水準とも、60年3月期をピークに、この水準をその後クリアできていない。利益率の高いクレスチンの売上減はストレートに利益減にと結びついた。呉羽化学がいかにクレスチン頼りの経営を続けてきたかは、一目瞭然であろう(中略)

”トップから末端まで薄い危機感” 

そしてクレスチンの好調さを支えてきた無競争状態も昨年10月の日本ケミファによる競合品の発売で崩された。どうあがいてもクレスチンが売上を伸ばす可能性はなくなったのである(中略)

「最大の誤算はクレスチンに代わるヒット商品がないこと。競合品の登場は厚生省への認可申請時から分かっていたこと。R&D型企業なのに、たとえば次の抗がん剤など有望商品の市場投入が「早くて3年後」と児玉社長は言っている。これは誤算だったはずですよ」(ライバルメーカー)

確かにその通りである。期初から減収減益が予想されていたのに、営業力強化に大胆な手を打ったという話も聞かない。厳しい自省の念に欠けているとしか思えないのだ。

ましてや昨年6月、三人の専務と三人の上席常務を飛び越えて「若返り」(高橋博会長=前社長)のために抜擢された児玉社長は営業畑出身である。得意の営業部門の強化に何らかの手が打たれてもよかった。

にもかかわらず、たいしたことはなされなかった。人材開発課を設け、まず営業マンの再教育を実施に移したが、それも昨年夏以降のこと。

しかし先に紹介した同社従業員の声に象徴されるように、同社内には“危機感”が薄い。いや見あたらないと言った方が正しいだろう。

減益減収をトップから一線の営業マンまでが「当たり前」と思っている。これは問題だ。

「児玉さんはQC(品質管理)運動を通じての“心の構造改善”を主張し、品質管理の日本賞やや世界的なデミング賞への再挑戦を狙いたいとしている。そんなことよりも本当は社内に危機感を盛り上げるほうが先決だと思うのですが・・・。多分クレスチンで築いた企業体力とクレスチンの“余力“にまだ期待しているんでしょう。まだ大丈夫だと」(大手日刊紙化学業界担当記者)(中略)

同社を支えた医薬品部門では、次なる商品として抗がん剤、腎不全進行抑制剤の製造承認申請が厚生省に出されている。他にも臨床実験段階に入っている抗がん剤がある。

だがその発売の見通しは先の指摘どうりで早くて来年、遅れると3年後になる見通しだという。農薬も麦用殺菌剤と除草剤を開発中だが、こちらはまだ商品化を語る以前の段階にすぎない。

医薬品業界では医薬品の開発は「10年50億円」が必要というのが常説。

つまりクレスチン開発に成功すると同時にとっかかっていなければいけなかったことになる。いや、クレスチンの商品寿命が異常に長いことを考えると、それ以前から同時並行でやって来るべきだったのである。

もちろん呉羽化学はそうしてきたが、結果的に有望な新製品を育てることができなかったわけだ。(中略)

”追い撃ちをかける特許侵害問題”

下降線を辿り始めた呉羽化学に追い打ちをかけるような事件も発生している。

医薬品に次いで“次代の商品”として期待をかける高機能樹脂分野で「特許侵害」を理由に訴えを起こされているのだ。これは高機能樹脂のPPS(ポリフェニレンサルファイド)である。(中略)

クレスチンの不振がより顕著になることは時間の問題であるだけに、危機感の無い呉羽化学はこれからもいばらの道を強いられることになるのだろう。PPSがらみの紛争はその端緒に過ぎないのかもしれない。

もちろん呉羽化学に救いがないわけではない。大幅減税といっても売上高経常利益率は製造業平均でまだ倍以上もいっている。

クレスチンで築いた財務体力は、いまだに強い。自己資本比率は60%を超え、自己資本は過去6年で倍以上となり800億円の大台に乗っている。

その一方で有利子負債の圧縮を進め、借入金依存度は前々期に20%を割って17.4%となり、前期も同様な傾向にある。

このため売上高の10%を研究開発費に投入するなど、その水準は同業のトップを維持している。強力な財務力に支えられているのである。

ピークアウトしたとはいえクレスチンはまだ大型商品であることは事実だ。呉羽化学が最悪の事態を迎える可能性が仮にあるとしても、それまでには時間的余裕もある。

だが「水に落ちた犬は叩け」という言葉もある。呉羽化学社内から危機感に満ちた言葉が語られてこない限り、その時間的余裕と財務力がすり減っていくのを止めることはできない。収益力低下に歯止めがかからないことを誤算であったと気付くまで、呉羽化学は未来を語れないのではないだろうか。(完)

この結果を みて業界では「ファインケミカルの旗手」「21世紀を担うR&D企業」と高評価をした。クレスチンを含むファインケミカル部門の売上高が50%を超えたからである。

売上高、利益水準とも60年3月期をピークにこの水準をクリアしないようになりクレスチン販売減が利益減と結びついていると指摘した。


一方日経ビジネス1990年8月13日号では「ケーススタディ 呉羽化学工業 大ヒット商品安住の重いツケ ”良薬”の副作用、企業活力が大幅低下」というタイトルで報じた。



呉羽化学工業が今、業績の急降下に苦しんでいる。特に89年度は、売上高が1064億円と前年度を8.2%下回り、経常利益は51億7000万円と1/3に減少した。下半期だけ見ると、約7億円の経常赤字である。今年度も引き続き減収減益の見通しで、回復のめどは立っていない。

同社のある中堅社員は、「今年夏のボーナスが昨年実績をわった。空前の好景気で、全産業平均だと8%近く伸びたと聞いている。わが社の現状がこんなに厳しいとは・・・」と顔を曇らせる。

87年9月には1730円を付けた株価も現在は半熱水準で低迷。強気でなる証券会社も「とてもオススメできる状態ではありません」と匙を投げている。業績が低迷している理由は、大黒柱の制癌剤、クレスチンの凋落だ。クレスチンは77年の発売開始後、売上高の累計は3000億円以上。利益率も60%を超える高収益商品で呉羽化の屋台骨を支えてきた。しかし、昨年末の中央薬事審議会で適用範囲を大きく制限された上、特許切れで類似品が一斉に市場に出た。
一時は325億円に達していた売上高は、89年度は前年度に比べ3割減の220億円に低下、利益率も下がった。今年4月に薬価が10%引き下げられた影響が出るため、今年度は130億円程度まで落ち込むとみられている。ある医薬品アナリストは「2年後には薬価の再評価がある。寿命はあと3年」と手厳しい。

売上高の4割強を占めるクレラップを含む合成樹脂関連もクレスチンの不振を埋めるような売り上げ増は期待できない。好景気に支えられた収益は安定しているが、競争も激しく「クレスチンの落ち込み補うにはほど遠い」(山一証券経済研究所)。むしろ一旦景気が悪くなると、第二次石油ショック後のように足を引っ張る材料にもなりかねない。さりとてクレスチンを除くと他に有力の製品も見当たらないのが現状だ。

利益の七割が単品ークレスチンに過度の依存
クレスチンの成功の陰で、呉羽化学はこの10年あまり目立った新商品が出なかった。新製品(発売開始後5年以内)の売上高に占める割合は89年度でわずか4%。商品の寿命は永遠ではないのに利益の7割以上をクレスチンに頼る」(証券アナリスト)、事実上の単品経営に陥っていたことになる。
クレスチン発売直後には、”化学工業のソニー”とまで言われ、技術開発力の高さやユニークさで同業他社をうならせた面影は今は残っていない。
「わが社の開発力が落ちた最大の理由はクレスチンにある」と分析するのは、88年6月に高橋博前社長からバトンタッチされた児玉俊一郎社長。「超特大の一発でホームランの魅力にとりつかれ、コツコツとヒットを積み重ねる努力を忘れた」と言うのだ。
それについて今年同社を退職したAさんはこう語る。あるとき社内で年間1億円の収益を上げられる事業の提案があった。しかし結局取り上げられなかった。そんな儲けの薄い仕事はやるなと経営陣に一蹴されたのです」。
長年同社に勤めるBさんも「新規事業も新商品もいくら提案しても無駄。大した事業じゃないと話も聞いてくれなかったんですよ」と嘆く。こうした話は枚挙にいとまがない。

幹部に社内批判ー伸び悩み招いた消極経営
88年暮れに同社が全社員を対象に実施したイメージ調査では、若手社員の多くが「暗い希望のない会社」「ぬるま湯的」「保守的で融通性がなく垢抜けしない会社」と回答している。新規事業への進出や国際化など積極的な事業展開が行われていないことに不安を感じているのだ。
さらに悪いことに今年に入り、現経営人を非難する文書が社内にばらまかれた。内容は明確な経営方針、研究方針を打ち出せない会社幹部に対する怒りを述べている。事業展開について経営陣内部の争いを指摘するものもある。
こうした事態について児玉社長は「業績が落ち込んでくると、内部の不満が噴出してくる。私のところにも色々なご注進があるのは事実。しかし。内紛なんてありませんよ」と否定する。「その時々で、合った会社の体質があるんです。当社にとって80年代は財務体質改善が急務だった」と説明。事業展開が消極的だったことも、「前社長が悪いわけではない」と多くを語らない。
確かにクレスチンの儲けで借金を返済した結果、財務体質は良くなった。
しかし「数字の上では金持ちだが、実際はね」と伸び悩みの原因が新規事業への出遅れ、消極的すぎた経営の失敗にあることを児玉社長は言外に認める。
同社の元役員は呉羽化の中興の祖といわれる故荒木三郎元会長について「技術開発についての先見性、決断力に富んだ人だった」と語る。荒木元会長が2ヶ月間研究所に泊まり込み研究者との議論の中で、クレスチンや炭素繊維開発の方針を決めたのは有名な話だ。
(中略)
クレスチン発売前の76年度と、売上高を比較するとクレスチン以外の売上高は1割程度増えただけ。構成比もほとんど変わらない
Bさんは「わが社は先代会長の荒木さんがなくなった時点で終わってのかもしれない。クレスチンのヒットで寿命がたまたま伸びただけ」と前途を悲観する。
同社が新商品や新技術の開発努力をしなかったわけではない。
事実、研究開発費はこの10年で約2倍に増え、年間100億円を突破している。平均的な化学会社の売上高対研究比率が5%であることを考えると、同社の10パーセントというのはずば抜けて高い。にもかかわらず、期待の医薬品を含め新商品が全く出てこないのだ。

成果出ない医薬研究ー金をかけても人材不足
元社員のCさんは「医薬品事業を舐めすぎたのですよ。クレスチンが成功した段階で、もっと真摯な態度で研究に臨むべきだった」と研究開発態勢を批判する。
Cさんのいう真摯な態度とは「市場ニーズを探り、需要にマッチした新製品を開発する」こと。同社の研究開発態勢は、医薬品業界の流れから完全に遊離、独善的なものに陥っていたという。
もともと呉羽化は化学会社だが、医薬品の研究費は毎年40~50億円を費やしており、「研究者数も製薬会社並み」(三共)。しかし研究者の多くは化学からの転身組。医薬品研究の経験は充分ではない。Cーさんは「本当にできる人がほとんどいない。あれではいくらお金をつぎ込んでもダメ」と手厳しい。
同社と同様、異業種から医薬品事業に参入し、数少ない成功例の一つといわれる帝人の場合、基礎医学の専門家を組織化することに腐心したという。小方和夫帝人副社長は「新規参入組が失敗するのはほとんどが人材の問題。1万分の1と言われる新薬開発の確率を高め医薬品事業で生き残るには、優秀な人材をどう集めるかが勝負だ」と言い切る。
呉羽化の社内には「どれだけ費用がかかっても構わないから最高の人材を引っ張ってきてほしい」という声もあったが「クレスチンも素人が作れた」と考える経営陣には届かなかった。
販社を持たず、三共に完全に販売を委託した呉羽化は「実際に病院などにアクセスすることがなく、市場の動向をつかむことができない」(Cさん)。その結果「クレスチンのような良いものを作れば10年でも20年でも持つ」という一発病に取りつかれた。
二匹目のドジョウを狙って制癌剤開発に力を入れているが、今や「癌に万能薬はない」(医薬品アナリスト)のが通説。まして「年商100億円に達すればヒット商品」(鈴木嘉平三共取締役)と言われる医薬品の中で、クレスチンのような大ヒットはそうそう期待できるものではない。
同社は現在癌のミサイル療法剤と腎不全進行抑制剤を開発中だが「事業としてはいずれも失敗。開発費も時間もかかりすぎ」との声が社内でも聞かれるほど。他社の幹部も「呉羽化は商品化が難しいものばかりに力を入れすぎている」と同社の研究方針の誤りを指摘する。、こうした批判に対し、経営陣の中でも評価は分かれる。研究開発本部長の天城康雄常務は「製薬会社と違うアプローチをするところにミソがある。現状の開発体制で問題ないと思うのだが」と薬品の開発体制の見直しには消極的。
しかし児玉社長はあえて社員の声に耳を傾ける。今後、研究方向を大きく絞っていく考え。同時に「研究費も節減。これまでのように特別扱いしない」と引き締める。
医薬品事業ばかりではない。既存分野での開発力も大きく落ち込んでいる。グラフを見ると80年代初めに比べ研究費は増勢を辿ってきたにもかかわらず特許公開件数が長期的に減少していることがわかる。他社との共同研究、委託研究も少ない。
社員からは「研究開発、新規事業などの点で官僚主義がばっこしている」との声が上がる。一部の経営幹部に権限が集中し「自由な研究ができない」というのだ。(中略)
官僚主義脱却へー開発部設置、優秀提案に賞
こうした社内の声を背景に、児玉社長は今年初め、「呉羽チャレンジ21」という21世紀に向けての経営指針を発表。全社員が一致団結して改革に取り組むことを呼びかけた。同時に各部署に権限を大幅に委譲、風通しの良い会社づくりを目指している。
7月始めには、94年度までの新しい中期経営計画(5カ年計画)を発表。クレスチンの低落に苦しむ中、今後設立する子会社を含め「94年度に売上高1600億円、経常利益120億円を目指す」(滝本秀常務企画本部長)と積極的な経営姿勢を打ち出した。
この中期計画では、売上高は年率6%で増えていくことになっているが、その中身については社内でも実現性に疑問を持つ向きがある。というのは売上高の30%を今後開発する新製品や新規事業に依存することを前提にしているからだ。(中略)

財務体質は業界一体力ある今が立ち直りの好機
(中略)
自己資本比率はクレスチン発売前の76年から89年度までに50ポイント上昇し、64%に達し
ている。クレスチンで得た利益を借入金返済と内部留保の積み増しに振り向けて行った結果である。(中略)
「呉羽化の立て直しは難しい」と同社をよく知っている人は口を揃える。しかし、可能性は残されている。ある元役員は「14年前、クレスチンのなかった時代に戻ったつもりで、1から出直すことです。研究開発型企業の呉羽化にとって、これからも生き残るには、捨て身で技術開発を続けるしかない」と語る。
クリスチャンがなくなった時、呉羽化は元の中堅化学会社の姿に戻る。しかし10年前に比べると財務体質は大幅に改善されており、潜在的な力は持っている。体力のある今なら立ち直りのきっかけを掴む可能性は残されている。問題は児玉社長率いる現経営陣が一丸となってクレハチャレンジ21や中期経営計画で書いた処方箋通りに、思い切った治療できるかどうかだろう。(深尾典男)


経済界1993.8.24号に就任5年目の児玉社長の怪気炎ぶりが掲載された。


この中でクレハチャレンジ21ー未来は私たちの心のうちにある。それは夢と希望と勇気である。と書かれたカードを紹介し、

「心の構造改善」

・失敗を恐れず強い信念を持って挑戦しよう

・目を外に向け他人の声に耳を傾けよう

・温かい心のふれあいを大切にしよう

と社長自ら考えたとされる意識改革が示されている。結局これらは殆ど実を結ばず最終的には「人材リストラ」が仕事となって行く。採用ストップから分社化、人員整理と進んだ。

日経ビジネス1996年7月1日号に1996年版社長の通信簿ー920人調査という評価がある。


ここに児玉社長8年目の評価が出ている。

事業成長度、収益改善度、株主貢献度、従業員活用度、市場評価度の5項目で評価してあるが残念ながら株主貢献度が2以外は全て1と最低の評価になっている。


この頃作家の清水一行氏が新春問題小説意欲作「天使のえくぼ」をある雑誌に発表している。そのコピーを当時入手したが何の雑誌かは不明である。ただ単行本「推奨退職」(徳間書店19943月発行)の中に同名で収録されている。


 

ここにも丸山ワクチンやクレスチン再評価が出てくる。

 これは当時のクレハの内情に詳しい人が情報を提供したものと思われるが、当時の社内事情を相当詳しく知っており、且つその時点で失脚させたい人のいる人または失脚して不満に思っていた人であろうとは推定できる。

 この中では呉羽化学はアゲハ化学、クレスチンはアゲスチンと変更されている。一部引用すると

この<アゲスチン>はアゲハ化学の研究陣が開発して、販売を大手薬品会社が受け持ち、昭和52年から発売された。

発売と同時に、副作用のほとんどない制がん剤として爆発的な人気が出て、翌昭和53年度には全社の売上げ高の増加分、約438億円のうちの四分の三に相当する、325億円がこの<アゲスチン>の売上げだったのである。

医薬品は、単品で100億円以上の売上げを記録すると、大ヒット商品ということになるが、<アゲスチン>は発売後たちまち100億円を突破し、さらに200億、300億と拡大していって、昭和56年度以降は全薬剤中のトップの売上げを誇る商品に成長。業界に“お化け商品”という羨望の声が上がったくらいだった。

<アゲスチン>が薬剤市場の売上げでトップに立った昭和573月期のアゲハ化学は、売上げ1038億円、経常利益が113億円を超えて、超優良会社へと成長したのである。神風に助けられたようなこの成功で、アゲハ化学の経営陣は高い評価を受けた。

なかでも<アゲスチン>発売の2期前、昭和48年に社長に就任した石橋現会長は、強気で<アゲスチン>戦略を推し進め、アゲハ化学を高収益会社に変貌させたとして、中興の祖と呼ばれる賞賛を受けた。<アゲスチン>イコール石橋だったのである。

もっとも<アゲスチン>がこのように長い期間にわたって、業界屈指の高収益商品足りえた背景には、<アゲスチン>の発売後、厚生省が制がん剤に対する認可基準を厳しくしたため、対抗薬品の開発が遅れ、他のメーカーからライバル商品が発売されなかったという幸運にも、恵めれていた。

しかし、昭和633月期をピークに、さすがの<アゲスチン>も売上げで漸減期を迎え、高収益会社だったアゲハ化学の陰りとなっていく。

それに追い討ちをかけたのが、昭和634月の厚生省の薬価基準の引き下げで<アゲスチン>の販売価格は3.3%の引き下げになった。すると競合メーカー3社が、<アゲスチン>と同種同効のゾロ、つまり後発製品を売り出し、ついに制がん剤の無競争時代に終止符が打たれたのだった。

こうしてピーク時には、単品で325億もの売上げを記録した<アゲスチン>も、連続して大幅減益に見舞われ、平成2年の業界予想では経常利益で32%減という、決定的な落ち込みとなった。

こうなると今までが良かっただけに経営陣への批判は避けられず、マスコミの風当たりが強まってくる。

それは先ず社長の玉井義一に集中した。

公然たる退陣要求である。玉井ヤメロコールは石橋会長が保身をはかり、意図的にマスコミに書き立てさせたという側面もあったが、外部からの批判と最大の庇護者、スポンサーの石橋に梯子を外されて、玉井の社長辞任は時間の問題と見られるようになった。

このとき突然玉井社長が居直った。

もちろん石橋会長にとっては青天の霹靂、自分の“番頭社長”ぐらいにしか玉井を評価していなかったからだ。

「そもそも<アゲスチン>に依存した、アゲハ化学のいまの経営体質は、石橋会長が社長として在任した16年間に築かれたもので、あえて責任を問うとすれば、戦犯の筆頭は石橋会長である」

退陣しなければならないのは、石橋会長だと訴えたのである。

会長と社長の激突。

アゲハ化学首脳部の暗闘が、こうして幕を切って落とされたが、いくら玉井が石橋の責任を口にしても、現役社長が経営不振の最高責任者として。各方面の指弾を浴びるのは当然の成り行きだった。

そいうとき、ここでとんでもないことが飛び出した。

なんと<アゲスチン>はそれ単独ではガンに効かない―――。かって考えたこともない薬効の否定という致命的な爆弾が、薬事審議会から投げ込まれたのである。

唯一の副作用のない抗がん剤といわれて、売れに売れた期間が長かった高収益の薬。その<アゲスチン>が単独ではガンに効かないことがわかった。うどん粉やハミガキ粉と変わりがなかったと発表されたのである。これで玉井の社長としての首は、明年6月の株式総会を待たずに、明日にでも切って落とされると誰もが思った。

ところがそうはならなかった。

完全な死に体のはずの玉井社長が、薬事審のこの発表で生き返ってしまう。

考えられないこの原因は<アゲスチン>の成功で経営者としての名声を上げ、アゲハ化学に絶対的なワンマン体制を築いた石橋会長の、その薬効のない薬との深く密接なかかわりにあった。

効かない薬を売りまくってきたのは誰かというのだった。社会的な意味では詐欺的な商法、犯罪行為ともいえた。

元凶は会長の石橋ではないか・・・・と。

一転して批判の矢面に立たされた石橋は、その持って行き場のない怒りを内部に向けて爆発させた。

「うちの技術幹部は一体何をしているんだ。薬事審の審査結果ぐらい、事前に察知しろ。何一つ手が打てないようで取締役、つまり貴様らは経営者といえるのか!」

石橋は月一回の取締役会で怒鳴りたてた。

 

この作品は技術陣の責任転嫁を主題にして研究開発部長がいわき市の工場幹部とゴルフをしながら色々打合せをして、技術担当の専務に反旗を翻そうとしたが、結局手打ちが行われ鬼界ヶ島と呼ばれている系列会社のアゲハプラスティックに転籍されそうな話で終わっている。この当時の呉羽化学の役員をこれに当てはめて想像すると結構面白いが・・・。


 1997年6月号の財界展望にジャーナリストの団勇人が「抗がん剤で儲ける医薬品メーカーの危機感」と題し、抗癌剤関連の記事を載せている。

それには

抗がん剤大国ニッポン:厚生省の護送船団方式に守られて成長してきた医薬品業界が、規制緩和で業界の半数が生き残れないといわれるほどの大転換期の真っ只中にいる。なかでも、世界でまれに見るほどの大市場をほこる抗がん剤メーカーが、危機感を募らせている。(中略)

効能が疑われたヒット商品:なかでも、抗がん剤市場、最大のヒット商品といわれるのが、クレスチンとピシバニールである。両剤は発売後10年で軽く1兆円を突破したのである。

このクレスチンが開発された当初、開発元である呉羽化学工業のもとに、医薬品メーカーが販売権をめぐり争奪戦を繰り広げた。そして三共が販売権を獲得し、1977年より発売開始した。

「当時、三共はこれといった新薬が出せず“卸問屋”と評されたほど自社製品がふるわず、経営的にもドン底にあった。そこで、ふつう仕入れ値は単価の“4掛け”と言われる業界の中で、異例の高値で仕入れることを条件に販売権を獲得したと聞いています」(業界関係者)

一時は医薬品御三家の地位を危ぶまれた三共だったが、これにより、名実ともに東の横綱として業界のリーディングカンパニーに返り咲いた。(中略)

そしてその当時、抗がん剤市場で、もっとも注目を集めていたのが丸山ワクチンであった。

これに危機感を抱いたのが抗がん剤メーカーである。なかでも同じ免疫療法剤であるクレスチン、ピシバニールを販売していた三共・中外製薬にとって安価な丸山ワクチンが承認されることで、販売上大きな影響を与えかねなかったからだ。

「丸山ワクチンの認可が国民的な関心事となった時、ある医薬品メーカーの社長は「私の首にかけても、認可はさせない」と役員会で大見得を切ったんですよ」(医療ジャーナリスト)

こうして、丸山ワクチンが日陰の存在になるなかで、クレスチンとピシバニールは、年々売上げを拡大し、ピークには両剤で年間1000億円を誇るまでになった。

ところが、市場の人気とは裏腹に、クレスチンとピシバニールの効果に疑問がもたれ、1985年頃から菅直人、草川昭三、伊藤昌弘議員らが、薬事審議会のあり方を含めて、両剤の認可の過程を国会で追及した。

その結果、1987年になって中央薬事審議会は「単独使用では効かない」と判定したのだ。

  

読売新聞は「医療ルネサンス」という記事を項目ごとに特集するが、19966月に「やすらぎのケア・新薬を考える」の4として、67日付けで「効果に疑問 免疫療法剤 甘い厚生省の「再評価」と題してクレスチン、ピシバニールの再評価をもう一度再評価すべきと論じている。一部引用すると

クレスチンは乳癌、食道癌に対する効能が取消され、胃癌、大腸癌も単独使用が認められなくなった。だが、胃、大腸がんの手術後に他の抗癌剤と併用する場合など、両剤とも大幅に使用方法を制限されながらも、がん患者の免疫力を高める「免疫療法剤」として、その後も使われることになった。抗癌剤と併用する場合に使用が認められたのは、併用によって患者の生存率が高まるという臨床試験がいくつかあるためだ。

例えば、胃癌の手術後、抗癌剤だけで治療する場合に比べ、抗癌剤にクレスチンやピシバニールを加えると生存期間が延びる、という試験結果がある。

これについて中島聡総・癌研附属病院副院長(消化器外科)は「免疫療法剤の比較の対象になった抗癌剤自体の延命効果がいまだに立証されていない。これを基準に、免疫療法剤を加える比較試験は、土台がグラグラしていて適切でなかった」と問題点を指摘する。

中島副院長は「薬の効果を厳密に調べるには、手術だけをして薬を使わない場合と比べることが必要だ。だが、当時は多くの医者が手術後に何の治療も行わないわけにはいかないと考えており、実現しなかったのだろう」と振り返る。

証明不十分な延命効果

この試験では、症例の18.5%が、患者の高齢などの理由で解析の対象から除かれた。試験の信頼性を保つためには、国際的に除外例は15%を超えるべきではないとされており、愛知県がんセンターの福島雅典・内科医長は「試験の結果は信用できない」と話す。

福島医長は「比較の対象が不適当など、どの試験も免疫療法の効果を科学的に証明したとはいえない。それを見抜けず薬効を認める中央薬事審議会とは何なのか」と疑問を呈する。

再評価後の92年、これとは逆の臨床試験の結果がまとまった。胃癌の手術後に、抗癌剤治療だけを行う場合と、これにクレスチンかピシバニールのいずれか、またはその両方を加えた4つの場合を比べると、いずれの治療でも患者の生存率は変わらなかった。患者数が七千人を超える大規模な試験だった。ところが、関係者向け資料では「一見、免疫療法剤の無効性を示唆する」としながら、除外例が20%近くあることを理由に「効果があるかどうか、この試験から結論を出すことは困難」とし、結果は医学雑誌に公表されなかった。

臨床試験でよい結果が出ると、除外例が多いなど問題があっても「有効」として医学論文で発表し、良い結果が出ないと公表されない。これらの薬は欧米では使われていないが、これでは世界から信用されるデータを出すことは難しい。

免疫療法剤には「再評価の再評価」が必要のようだ。

と記して批判している。

その他「厚生省研究 水巻中正(読売新聞社員)株式会社行政出版局平成5年6月25日発行)」など多数の文献が出ているが割愛する。

ちなみにクレスチンの販社で会った三共はクレスチンの売上げが減少し始めた頃、自社開発品の抗コレステロール剤の「メバロチン」が1989年度から売上げに貢献しはじめ徐々に売上げが上昇し1995年には1300億円に達しその後も売れ続け体質の改善は完全に回復していった。 


 

これに対し呉羽は上記の指摘通り人員整理までするような経営状態に陥り、私が在任中には経営不振からは抜け出せなかった。


 








  32 ゾロ品 クレスチン製造は基本特許(昭和43年10月3日 制癌剤の製造方法 特許登録番号968425 昭和51年公告)により昭和63年10月3日までの20年間は特許法によって守られていた。 特許が失効すると医薬品メーカーはある条件下で同一類似品(後発品)を承認申請出来る。...